身もだえするほど恥ずかしい話
沖縄王版『琉球新報』紙面批評−12月分


 4日付朝刊「金口木舌」はこの1年の回顧として <外務省沖縄大使が離任に際し「米軍事件は県民より発生率低い」と発言。 米軍スポークスマンばりの発言が県民の反発を受けた>と記した。

 確かに<米軍スポークスマンばりの発言>である。 そもそも米軍が沖縄にいなければその分犯罪は減るわけで、にもかかわらず、 そういうことを無視した発言なのは間違いない。 お前はどっちの味方なんだと問い詰めたくなる気持ちもよく分かる。

 ただ、犯罪の発生率は米軍より県民のほうが多い、というのが事実なら、 私にとっては目からうろこがボロボロ落ちる話でもある。 だからといって、沖縄から県民を追い出せば沖縄の犯罪発生件数は激減する、 と言いたいのではない。

 この沖縄大使の発言に対して、県や報道機関が反証を挙げて迫ったという話はついぞ聞かない。 沖縄大使の発言を認めたことになる。

 私が勝手に沖縄大使の真意を忖度するに、 「沖縄は被害者面ばかりしてはいかんぞよ」ということではないか。 自分たちの犯罪発生率を脇において、米軍の犯罪を批判する資格があるのか、ということではないか。 この“論理”は味噌と糞をごちゃまぜにした屁理屈ではあるのだが、 その底流にある沖縄への本音は厳しいものがあると私は感じた。

 本土では沖縄熱が続いているけれど、 「いつも被害者面しやがって」「補助金で食っているくせに」という厳しい目が向けられていることがあるということを、 沖縄はぼちぼち自覚したほうがいい。 こういう厳しい目線の存在に気づいていないはずがないと思うのだが、 ひょっとしたら気づいていないのかもしれない。

 整理部の金城潤記者が4日付朝刊4面の「記者の余録」に書いた<行けない「新都心」>はいい内容である。 車椅子の友人の目線で見た新都心を<一部の大型店舗を除けばほとんどが二階の売り場へスロープ、 エレベーターがないそうだ>と記述するとともに、 琉球新報社の正面玄関にもスロープがないことに対して内省的に言及したのが素晴らしい。 自分(の会社)を棚に上げずに書く姿勢は非常に非常に非常に重要である。

 欲を言えば、<二階の売り場へスロープ、エレベーターがない>店の釈明を載せておきたかった。 小型店舗にはそういう設備を設置する余裕のない場合があるからね。

 9日付朝刊社会面の<1フィートの会が20周年><若い世代の参加呼び掛け> <資金難直面 苦しい運営>と見出しが3本もついた小さな記事に「う〜ん」とうなってしまった。 私は1987年3月ごろから約2年間この1フィート運動の会事務局で上映活動を手伝った。 事務局に入り浸り、多くの運営委員のみなさんと交流が今もあるので、 私にとっては「心のふるさと」である。

 ただ、当時から若い世代はおらず、私は先行きを危ぶんできた。 記事には<メンバーの高齢化や資金難に直面している>とあるけれど、 これは17年前からかなりの程度予想できた話である。う〜ん。 こういう状況を改善しようと取り組んだのだろうか。 いいにくい指摘ではあるが、こういうことこそ、提案を含めて社説が書くべきではないか、 共同通信の配信する社説を掲載するくらいなら。

 24日付朝刊に、2003年の10大ニュースが載っている。 県内編の第10位に新報社の行事である <グローバリゼーションフォーラム開催>を載せた勇気というか我田引水というか自画自賛というか・・・。 報道機関として恥ずかしくないのだろうか。恥ずかしくないのだろうなぁ。 恥ずかしいことか恥ずかしくないことかを考えることもなかったのだろうか。 なかったのだろうなぁ。ああすごく恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしい。 と私が恥ずかしがるのも妙な話であるが、2004年もこの調子で頑張ってほしい。 って、もう2004年の4月なんだけどね。(沖縄王・西野浩史)






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