新報記者は新報紙面を読んでいない?
沖縄王版『琉球新報』紙面批評(2003年9月分)


 1日付朝刊の「声」欄に<ファーストフード勤務>の 人の投書が掲載された。マクドナルドや モスバーガーのような店の食べ物は、 注文したらすぐに出てくることから、 「すぐに、早い」という意味のfast(ファスト)+「食べ物」という 意味のfood(フード)を合わせて fastfood(ファストフード)と言われている。

 ところが、fast(ファスト)と first(ファースト=1番目という意味)を混同して、 ファーストフードと表記してしまう人がけっこういる。 琉球新報社の「声」欄の担当者もデスクも校閲記者も 気づかなかったようだ。この表記の間違いは よくあるので、基本の基本なんだが。

 この投書の見出しは<必要なのは人間>だった。 私は「新報社に必要なのは生粋の校閲記者」だと 指摘しておく。って、もう何度も指摘してきたけどね。

 そういえば、東京都と千葉県を中心に展開している進学塾が 作成した小6用社会の問題の正解に 「ファーストフード」と書かれていたこともあった。 たまたま見た私はその塾の社員に 教えてあげたのだが、“正解”の訂正が生徒に 伝えられることはなかった。恐ろしいことである。

 沖縄市での自衛官爆死事故を取り上げた 2日付朝刊の社説<危険に鈍感すぎないか>の 本文の最後から2行目の一番下が2字分空白になっている のを見つけてしまった。

 社説を読む人はあまりいないと 世の中で言われている。いくら読者が読まないとはいえ、 新聞社の論を主張する社説は新聞社の顔とも 言うべき存在である。その社説でこういう 失態を見せてはいけない。論説記者はゲラを確認した のだろうか。信じがたい紙面なので、記念に 写真を載せておく。

 この社説の題名<危険に鈍感すぎないか>は、 新報社自身のことを言っているに違いない (って、そんなワケないか)。

 15日付の社説は新報の創刊110年を記念した 内容である。まずはお祝い申し上げます。

 最後のほうで <世界的な傾向だが、インターネット時代に あって若者の“紙の活字媒体離れ”で、新聞経営は厳しく なっている。一方で一地方紙の報道が瞬時に世界に流れ、 地球規模で影響を与えることが可能になった。新聞の責任と 役割は大きくなっている>と自画自賛した段落の 3つの文章は、つながりが非常に悪い。 下手くそと断言できる文章である。 武士の情けであえてよく言えば「舌足らず」である。

 下手くそな理由その1。<新聞経営が厳しくなっている>ことと ほかの2つの文章につながらない。この流れなら、インターネットの 役割は大きくなっていると書くほうが素直で論理的だ。

 理由その2。真ん中の文章はかなり無理がある。 インターネットで世界に向けて発信できるのは形式的には その通りだが、<地球規模で影響を与えることが可能になった>って のはかなりの大風呂敷ではないか。<可能になった>と逃げを 打っているからいいってもんじゃない。実力以上に 背伸びしないほうがいい。

 その3。<新聞の責任と役割は大きくなっている>と言うけれど、 本当に<大きくなってる>のだろうか。私は、「変わらない」 というのが適切ではないかと思う。はしゃぎすぎという自覚がない。 大丈夫か? ところで、フセイン元大統領を拘束したという ニュース(12月)は、よりによって新聞休刊日の前夜に飛び込んできた。 テレビの速報性にはかなわない。こういうことを踏まえると、 社説の該当部分は、むしろ、テレビ報道の 責任と役割は大きくなっている、と言うべきだった。 言えないだろうけど。

 でね、<歴史的な体験と沖縄の現実から発せられる県民の声を 忠実に代弁したい>と書いたけれど、米軍基地に対しては 残念ながら「反対」の側に立つ県民の声ばかり取り上げている。 例えば、米軍基地を優良企業ととらえて就職する県民の声を すくいあげたことがあるだろうか。

 基地に反対なら反対でいい。基地反対の姿勢を明確に 持っているくせに、<県民の声を忠実に代弁したい>とは ちゃんちゃらおかしい。そうまで言うなら、米軍基地が県民生活に 不可欠だと考えている県民の声をきちんと載せないといけない。

 同じ15日の8面は<守ろう美ら島の海>と題して、 サンゴの海中写真を5点掲載した。白黒で(笑い)。 ああもったいない。何を考えてんだか何も考えてないんだか。

 110年記念の行事の1つに、 新聞改革について話し合う集会があった。この 集会のことを16日付朝刊で特集している。 新報の記事に限らない話として、 こういう記事を読んだり見たりするたびに私が思うのは、 新聞の基本的な仕組みや役割を理解していない人が “討論”すると、 的外れの話が連発される、ということだ。

 例えば島袋ゆみこさんの発言を社会面では <「文字がぎっしりして、空白が少ない」と視覚的な変化を 求めた>と紹介した。島袋さんは雑誌と混同している。 そんな発言をまともに扱ってはいけないという 程度の判断くらいしなさい。 元ニューヨーク・タイムス記者の上杉隆さんの発言だけが 唯一まともだった。

 21日付朝刊の社会面<本紙記者が尖閣に上陸>の 小さな記事で、本紙記者の名前がなかった。新報社は 匿名報道を原則にしたのかな? 身内に優しく 他人に厳しいのなら、信頼は崩れる。

 22日付朝刊の社会面の2番手の記事は、西表島に リゾートホテルを建設しようという企業の動きに対して、 住民たちが那覇地裁に建設禁止の仮処分申請をしたものの、 却下されたという報道である。

 これを報じる価値は実はほとんどない。 そもそも住民たちはすでに開発行為差し止めの 訴訟を那覇地裁に起こしている(と記事に書いてある)。 仮処分申請とはいえ同じ訴訟内容であれば、 民事訴訟法の「二重訴訟の禁止」に引っかかるから 却下されるのは当たり前である。 実際、原告代表の人も<「仮処分の却下は 予想していた結果だ」>と語っているではないか。 却下されなければ報じる価値はあるけれど、 当たり前の結果になったに過ぎない。 こういうことを知っていたかな?

 さて、ようやく9月分が終わった。 しかし、もう12月後半だというのに、 まだ10月分以降を書いていない。新聞が山積みだ。あわわ。 (沖縄王・西野浩史)






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