よ〜く考えてから書くほうがいいと思うよ
沖縄王版『琉球新報』紙面批評(2003年7月分)


 痛ましい殺人事件がまた起きた。 北谷町で発覚した中学2年生の殺害・遺棄事件について 紙面の多くを割いた。5日付夕刊が伝えた第1報を、 私はムーンビーチ近くのマクドナルドで読んだ。 さて、『琉球新報』(以下特に新聞名が書いていない場合は すべて『新報』を指す)の社会面には <六月下旬ごろから行方が分からなくなっていた> とある。捜索願いは出ていたのか、警察や中学は どう対応してきたのか、言及してほしかった。

 翌6日付朝刊1面は容疑者逮捕を報じた。 <中3と16歳 殺人で逮捕>という 見出しのもと、詳しい記事が出ている。 その中で私が注目したのは、以下の記述である。 <少年らは「座喜味君が(犯行グループの)少年の 母親の財布から金を取ったため殴った」と動機を 話し、犯行直前に現場近くで座喜味君に 偶然会い、現場まで連れて行ったとしている。座喜味君が 「取っていない」と否定したことで、「生意気」 「態度が悪い」として犯行に及んだという>

 一方、『沖縄タイムス』は同日の朝刊1面の 本文の冒頭にこう書いた。<動機について少年らは 「仲間の少年の母親の財布から金をとったことに対する 態度が生意気だった」などと 供述しているという>

 『タイムス』の記事は、殺された座喜味君が 友達の母親の財布からお金を盗んだということが 確定した事実であるかのような書き方をしている。 しかし『新報』は座喜味君が盗みの疑いを明確に 否定したことまで伝えている。

 この場合、盗んだのが事実かどうかは分からないし、 『タイムス』が判断する能力も判断する必要もない。 そもそも疑われた座喜味君は否定しているのである。 ということを前提にすると、 『タイムス』の記事は無神経な ものとしか言いようがない。座喜味君は殺された上に 反論できないわけで、これでは浮かばれまい。 『新報』の記事は座喜味君の反論を きちんと掲載してある点で非常に光った。

 しつこいようだけれど、『タイムス』が 非礼極まる記事を1面に掲載したことは もう一度明確に指摘しておく。座喜味君が自分にかかった 盗みの疑いを否定していたことを、『タイムス』記者は 取材できていたにもかかわらず掲載しなかったのか、 それとも単に取材不足で知らなかったのか。どちらにしても、 恥ずかしい話である。と偉そうに書く私だが、自戒の念を こめて厳しく指弾しておきたい。

 同日の社説は<もはや「非常事態」だ>と題して この問題を取り上げ、<深夜はいかい、飲酒など 不良行為で補導された少年は三万二千百七十三人で、 統計を取り始めた本土復帰後以降、はじめて三万人を 超えた>と興味深い数字を挙げた。

 私が「興味深い」と 思った理由は、3万人という数字だけでは 少年の人数に占める割合が分からないからである。 不良行為で補導される少年が 本土復帰以降増えているのか減っているのか変わらないのかを 正確に把握するためには、少年の人数に占める割合の変化で 見るのが正しい。沖縄県の人口は増えているはずで、 事件の発生件数は人口の増減に比例するから、不良行為で 補導される少年の人数が増えるのは当たり前という 可能性がある。<3万人を超えた>ことに意味があるのかないのか、 これを書いた論説記者は検討した形跡がない。 単なる数字の比較なら小学生でもできる。

 同日の社会面では<中学1年の暮れから不登校が 始まり、夜出歩いている姿もしばしば目撃されていた>や <校長によると、亡くなった座喜味勉君と加害者の 少年らは不登校だったという>という形で 「不登校」という単語を使っている。 ひとくちに不登校といっても、怠惰による不登校 (非行型不登校)と内面性による不登校がある。 この2つは中身が全く異なる。 十把ひとからげに済ませていい部分ではない。 7日付朝刊社会面では県教委の対応を取り上げ、 <会議では特に非行型不登校生徒らの 受け皿づくりに重点が置かれた>と明確に 分けているのだから、このように 厳格に分けたほうがいい。

 15日付朝刊の特集面では、 にんじん食堂を経営している大道寺さんと実方さんが 登場し、沖縄の定番料理について<レシピは簡単で油を 使いすぎる>などと指摘している。沖縄のものなら何でも 褒め倒す無責任莫迦が最近目立つだけに、こういう的確な 警鐘はもっと掲載していくべきだと思う。

 18日付朝刊2面の「透視鏡2003」は モノレール事業に伴うバス活性化資金の問題を 取り上げた。面倒な内容を整理して 伝えている。

 22日付朝刊では<琉球新報ビジュアル版>として <深刻化する少年問題>という題を掲げた。問題意識を 持って警告するのは新聞社の仕事の1つだと思う。 ただし、本当に<深刻化>しているのだろうか。

 7月21日付『毎日中学生新聞』の「110番講座」で 三木賢治毎日新聞論説委員は<最近の中学生が 凶悪化しているとか、非行の低年齢化が著しいといった 一部の大人の指摘は見当はずれだろう> <突出した事件は、残念ながらいつの時代にも 起きている。12歳の殺人も珍しくない。深刻に受け止め、 再発防止に努めるべきではあるが、 少年や中学生全体に広げて危険視 するのは正当ではない>と述べている。

 23日夕刊の社会面は<料理店 喫茶店 古民家風が人気> という傾向モノ記事を載せた。その本文の冒頭に <糸満市真壁の「茶処 真壁ちなー」は築百十二年の古い民家で、 戦争直後は診療所や旧三和村役場などに利用された>とある。 実は私はこの店でそばを食ったことがある。 築100年以上と聞いたので、 出かけてみたのである。そばを食いながらふと考えた。 この辺りは沖縄戦の激戦地だったはずだ。それなのに 家屋が残っていたのか? と。店の人に聞いてみたところ、 家の土台や柱は残っていたと教えてくれた。 人様の茶碗を叩き落すつもりは全くないけれど、 あえて言うならば、そういうものを「築100年」と 私なら絶対に絶対に絶対に言わない。 だから私は沖縄王での掲載を見送ったのである。そばは まずまずだったけれど、いただけない話はいただけない。

 24日付夕刊の社会面は<「かりゆし」今夏も好調>という これまた傾向モノ記事である。かりゆし服の着用が増えている と好意的に伝えている。同じような服の着用が 増えるのはいいことなのだろうかと一歩踏みとどまる視点が 全くない。同じような服を着ている人が大勢いる光景は 私には不気味である。みんなが同じ方向を向くことの 怖さを社会評論家や歴史学者に論評してもらったり 「おしゃれ」という点での問題点を 服飾関係の専門家に語ってもらったりして、 「これはいいことなのか?」と立ち止まる視点を 提供してほしかった。だって新聞なんだから。

 31日付朝刊の社会面の<泳いでいいの 駄目なの?> は面白い。北谷町の海岸に並ぶ「遊泳禁止」と 「遊泳時間」の2つの看板を、写真とともに 紹介している。

 というわけで、7月分の紙面批評はこれでおしまい。 (沖縄王・西野浩史)






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