慰霊の日企画への賛否
沖縄王版『琉球新報』紙面批評(2003年6月分)


 人間が100人いて、1つの課題に対してその100人全員の意見が 完全に一致することはありえない、というのが私の 基本的な見方である。つまり、130万人もいる県民が みんな同じ考え方をしているわけがない。そんなことが 万一あったら、いや、万一もないから、これ以上架空の話は 書かない。

 かねてから私が指摘してきたように、米軍基地に対する県民の 考え方は積極的賛成から積極的反対まで濃淡がある。そういう 事実を棚に上げて「米軍基地撤去は県民全員の願い」といった 安易な記述をする主張を批判してきた。

 そういう視点で、2日付社説「米軍駐留再編」は何とか及第点を 与えたい。

 結論部分はこうだ。<基地が過去もそうだったように、現在、将来も 県民の重荷であることは、その政治的な立場は異なっても 県民の多くの見方は一致している。しかし、県民一人ひとりがもっと 強い当事者意識を持たなければ、実際に米軍を撤去させることは 難しい>

 後ろの1文は全くその通りである。<強い当事者意識>が ない人のほうが多いのが現実である。的確な現状認識だと思う。

 では、前の1文はどうか。<県民の多くの見方は 一致している>も事実を踏まえた正確な記述だと思う。 かつて横行した「基地撤去は県民みんなの願い」的な 記述よりもはるかに説得力がある。こうした記述を今後も期待したい。

 5日付「みんなの広場」の投稿を読んでいて、 「ネタになる」と私はニンマリした。<平和のために>と 題する投稿の冒頭が、こうなっている。

 <沖縄では真夏を、 「特攻機白菊」の基地、徳島では深緑の濃さ増して梅雨近き、 昭和二十年五月二十四日、前進基地鹿児島串良基地から 徳島海軍航空隊所属の海軍特別攻撃隊(以下略)>

 投書欄には読むに耐えない投稿が掲載されることがある。 全国紙に比べると、地方紙にその傾向は顕著だと 私は思う。読者数が少ないうえ、紙面を埋めるために、 そして営業上の理由から、どうでもいい、いや失礼、 質の低い(←同じやないか!)投書を載せざるを得ないことが あるからだ。

 しかし、だからといって投書を読まなくていいということにはならない。 特に投書欄の担当者や校閲記者などは必死になって読む必要がある。 文意が通らない部分は手を入れるべきである。 だってそれで賃金を得ているのだからね。

 話を戻そう。前述の投書の冒頭にある<沖縄では真夏を>は いったい何なんだろう。もともとの投稿にないものが入ってしまったのか。 それとも<沖縄では真夏を>のあとに続く文章があったのに 間違って外してしまったのか。どっちでもいいが、 いずれにせよ、疑問が浮かぶ。担当者や校閲記者は目を 通したのだろうか? と。

 15日付社会面の<夏までもうすぐ!!>に添えられた写真は よかった。糸満市の親水公園で子供たちが水の中に上を向いて 寝転んでいる(かろうじて顔だけは水面に出ている)光景は、 とてもほほえましいし、暑さが伝わってくる。 こういうの、いいなぁ。撮影した記者の感覚に拍手したい。

 17日付朝刊社会面で始まった連載「“心層”の傷跡 沖縄戦と トラウマ」は、沖縄戦から心に受けた傷(トラウマ)だけを 抽出した切り口が新鮮である。戦争経験者の中に巣食う心の傷 を直視した記事は読み応えがある。特に、 戦争中に母親に捨てられたという思いを持つ 64歳の女性の話(18日付)は重い。立派な企画だ。

 余計というか蛇足だったのは 23日付け朝刊の文化面で始まった 「沖縄戦の記憶 トラウマを超えて」である。琉大の社会学の 教授や大学院生などがあれこれ書いている。 社会面の記事の出来がいいのに、さらにこういう意義づけ(というか、 要するに、難しい表現を用いてもったいぶって 言葉遊びをすることね)を記者と同じ文系の人間が わざわざするのは、学生さんには申し訳ないけれど、 屋上屋を重ねるものでしかない。 例えば<語らない慰霊塔・碑は、「沈黙」の向こう側に 見える生存者の心の傷を浮かび上がらせ、語ることができない 沖縄戦の恐怖と悲しみの存在を私たちに教えてくれる>などと 飾りつけがいっぱいの文章を読むと、 ホンマかいなと私は思ってしまうのである。 平和祈念公園に紋付はかま姿やディレクターズスーツ姿でやってくる ような違和感とでもいえばいいか。学生さんに書かせるのではなく、 記者が学生さんを取材して書いてあげたほうがまだましではないか。

 どうせなら医学面から迫ってほしかった。 わざわざ「トラウマ」という 視点に立ったのだから、医学の専門家による 論考こそが本道だと思う。

 慰霊の日に合わせた沖縄戦の企画は沖縄の新聞社に 課された重要な仕事だということを自覚してほしい。 自覚していたら、もっといろんな企画が出てきたはずだと思う。 慰霊の日企画は何が何でも慰霊の日の前に 掲載しなければならないという決まりはない。 場合によっては慰霊の日のあとで連載を始めてもいいのである。 記者による慰霊の日企画を私はもっともっと読みたかった。 (沖縄王・西野浩史)

 写真はいずれも2002年6月23日の撮影






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