ゆし豆腐の角に頭をぶつけて死んじまえ
沖縄王版『琉球新報』紙面批評(2003年5月分)


 9日付朝刊の2面に掲載の「ニュース透視鏡2003」で 下地幹郎衆院議員の除名騒動を取り上げた。 下地議員は、普天間基地の嘉手納統合案を主張している。 私が知る限りでは(この2年間くらい)、 下地氏をめぐる騒動を地元マスコミは取り上げてきたけれど、 騒動の源である肝心の統合案については全く無視している。 沖縄選出の国会議員の持論なのだから、その妥当性や将来性などを 客観的に検討するべきだと思う。ドタバタの騒動よりも はるかに重要ではないか。そういうことをしないまま、 ドタバタだけを取り上げるのは変である。

 同じ9日付朝刊5面では漫画「空手王子」が始まった。 その第1回目の紙面に、「どっちなんだ?」と言いたくなる 矛盾を見つけた。<あらすじ>には<琉球に空手が伝わったのは 十六、七世紀といわれています>とある。そのすぐ左隣の囲みに は<空手は沖縄を発祥の地として世界に広がった琉球文化である>という 文章と<空手はいつ沖縄に伝わったのかは定かではないが>という文章 がある。

 空手の発祥地が沖縄(琉球)だと言う一方で、空手は琉球に 伝わってきたと言っている。さらに、16、7世紀に伝わってきたと言う 一方で、いつ伝わってきたか分からないとも記している。

 名ドラマ『太陽にほえろ!』の、松田優作演じるジーパン刑事の 殉職する場面で、ジーパン刑事は手についた自分の血を見て 「なんじゃこりゃー」と叫んだ。それを真似して、 私は『琉球新報』を見て叫ぶ。何じゃこりゃー。 担当者と校閲記者はゆし豆腐の角に頭をぶつけて死んじまえ。

 さて。15日付朝刊4面の「記者の余禄」は非常にいい。 何がいいかというと、率直な内容なのがいい。 中部報道部の豊浜由紀子記者が嘉手納町で暮らしてみた 感想を<那覇出身の私にとって基地に脅かされる 生活は衝撃だった。那覇で感じていた基地問題は報道の一つにしかすぎず、 どこか人ごとのように見ていたのかもしれない。住んでみて初めて気が 付いた>などと明かしている。

 沖縄で基地問題を実感している人は 基地周辺の人くらいだと私は思っている。それ以外で基地問題に 関心を持っているのは、戦争経験者か 平和運動をしている人か平和問題で飯を食っている学者か 労働組合くらいだろう。それがいいとか悪いとか言っているのではない。 沖縄の人がみんな基地問題に関心を抱いているわけがないという、 当たり前ではあるものの、本土マスコミも地元マスコミも 無視している(気づいていない可能性もある)事実を 私はしつこく指摘しておきたいのだ。

 にもかかわらず、同じ日付の社説<本土復帰31年 復帰の 宿題を片付けよう>は、本土復帰後も<変わらないものの代表は 「米軍基地の重圧」であろう>と書いた。<変わらないものの 代表>は、現実を見ていないあなたの脳ではないか。

 読まれない社説だからといって無責任なことを書いていいわけでは ない。しかし、やっぱり無責任なことを書いてくれる。 21日付社説<県工連半世紀 原点忘れず次の一歩を>の最後に <G8サミットや太平洋・島サミットでは、各国首脳が 県産の「かりゆしウエア」を着てご機嫌だった。県産品愛用運動も 県民だけではなく、県外、海外へと広めたいものだ>と書いてしまった。 サミットで各国首脳がかりゆしウエアを着たのは、 そういう準備がされていたからでしかない。サミットでは開催地の衣服を首脳たちが そろって着て、そろって写真に納まっているのはよくある光景である。 儀礼というか単なるサービスでしかない。それが証拠に、 誰もずっと着ていないでしょ。

 私はかりゆしウエアを嫌いではない。何を隠そう、1990年ごろに 出たやつを1着持っている。ヤクザに間違われそうな 真っ青の色合いと変な模様なので、あまり着ていない。

 閑話休題(←この意味を知らない人が多いと報道されていたので、 ここで使っておこう)。

 沖縄でかりゆしウエアを着ている人を見ると、 「公務員かな銀行員かな旅行業関係者かな」と 私は思ってしまう。今の沖縄でかりゆしウエアを主に着ているのは ういう職業の人だ。社説は安易に<県民だけではなく(略)広めたいものだ> と書いたけれど、そもそもあなたは着ているのか。新報社の 社員は着ているのか。家族は着ているのか。人に薦める前に 自分とその周囲が実行してこそ、責任ある姿勢といえる。

 25日付5面の「紙面批評」はひどい内容だった。沖縄国際大商経学部の 大城保教授の執筆である。<地方分権改革、教育基本法改正、 国立大学改革、弥生時代五百年早まる、その他、述べたいことは大小 山ほどありますが、紙面の限界で筆を置きます>で締めくくってくれた。 唖然とさせてくれる先生である。この原稿の冒頭に<毎日、世界中で無数の 社会現象や自然現象が起こっています。これら無数の現象の中から新聞記者の 感性によって感じ取られたことが記事に掲載されます。歴史の 転換期には大きなうねりとなって集中的に現れるようです(以下略>という、 どうでもいい、当たり前のことをウダウダ並べるヒマがあるのなら、 山ほどある述べたいことを1つでも書けよ。 原稿に字数制限があるのは、原稿依頼をされた時点で 分かっていることである。制限字数のない 原稿を載せるのは、インターネットくらいだろう。 字数無駄使いをしておきながら<紙面の限界>と言ってしまう 神経が私には理解できない。限界は紙面にあるのではなく、 大城先生の脳にある。

 それにしても、こんな文章を書いてはいけない。 沖縄国際大の学生は(ほかの学校の学生も同じね)、 就職試験に課される作文で、大城先生の真似をしないように。 大学受験の論作文でもこんなことを書いたら ダメ。あまりにひどい原稿なので、あえて「紙面批評」を 批評しておく。

 27日付朝刊社会面に恒例の記事が載った。糸満ハーレーの日が 近づいてきたということで、ハーレー鉦(がね)を打つ人の写真を 添えた記事である。見出しは<梅雨明け間近>となっている。 同じような見出しを過去も見た記憶がある。そういう意味では 定番の中の定番なのだろう。だから、いつものような記事と見出しが 出てしまったに違いない。しかし、である。沖縄の平年の梅雨明けは 6月23日だ。この記事が出てからまだ1ヵ月近く梅雨は続くわけで、 梅雨の中盤というべき時期に<梅雨明け間近>と 表現していいのだろうか。定番記事だからといって、 過去の記事にしばられる必要はない。というか、少し考えれば 「おかしい」と記者もデスクも校閲も気づくはずだと私は 思う。

 31日付社説<海兵隊削減計画>に書かれた一文を読んで、 私は混乱した。<海兵隊削減が選択肢の一つとされていることは 確かなようだ>。<確か>という断定に<ようだ>という推定は 合わない。こういう文章は私も書きかねないので、 他山の石としたい。

 13日付朝刊の経済面「沖縄ブランド戦略」で取り上げた オリオンビールの記事は興味深い。特にオリオンビールの 県内市場占有率が<一九六七年には実に95%を誇った。復帰後も 60%台後半から80%の間で推移。現在は「発泡酒含め55%程度」と 関係者は語る>という部分は面白い。

 これに比べて、地元紙2紙の市場占有率は非常に高い。 よかったよね。でも、オリオンビールのような 状態に1回くらい陥ったほういいかもしれない。 商品開発を必死にやるだろうからね。(沖縄王・西野浩史)






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