目を噛んで死ね
沖縄王版『琉球新報』紙面批評(2003年4月分)


 これまでの「紙面批評」は『琉球新報』紙上で 半年間毎月1回掲載してきたものを もとに大幅に加筆して沖縄王に掲載した。 新報社から原稿料をもらっていたので、 当たり前ではあるけれど自費で競合紙『沖縄タイムス』を買い、 比較してきた。

 今回からは私の“趣味”で書く。しかも“出張”先の神奈川県平塚市に『新報』を 郵送してもらって書く。購読料も郵送料も私持ちである。われながらよくやるなぁと 思わないではないけれど、こういう事情なので、基本的に『新報』だけの批評になる。 『タイムス』との比較はない。

 さて、4月1日付朝刊には悲しいニュースが出た。 1面に<レキオス航空100人解雇>とある。 記事によるとレキオス航空が<全従業員約百人(正社員八十人を含む)を同日付で解雇した>というのである。 レキオス航空が“離陸”できそうにないことは、これまで『新報』は熱心に取材し、記事にしてきた。 その節目というべき事態である。

 関連記事が経済面と社会面に出ている。 経済面に載った<レキオス航空年表>を 読んで、「あれれ?」と私は違和感を抱いた。年表の一番下に<03年3月31日 従業員80人を解雇>と あったからだ。

 上に記したように、1面には大きな見出しで<100人解雇>とあるし、 その横の記事にも<全従業員約百人(正社員八十人を含む)>とある。 さらに、経済面の年表の横の解説記事にも <レキオス航空の従業員百人が三月三十一日付で解雇された>と しつこく記されている。

 それなのに、どうして年表だけ<従業員80人>なのだろうか。仮に正社員の80人だけを 年表に入れたとしたら、ほかの記事との整合性がなくなる。年表を書いた記者と 熟読した(よね?)担当デスクと校閲記者はそろいもそろって気づかなかったわけね。 う〜む。ホントに熟読した? それともこういうことに気づく 私はよほどヒマなのか。

 同じ紙面で「金口木舌」にはこう書かれていた。前半を紹介する。

 <「本日より、日本国は民営化されるものとする」「本日より、 税金はすべて体脂肪で納めること」。最近、何度か新聞にこうした広告が出た。思わず真に受けた 人もいるかもしれない。もちろんこの広告はジョーク。現実を知る媒体として新聞に関心を 持ってもらおうと、日本新聞協会が出したものだ。どきっとした後、笑みを漏らした人が 多かったならこの広告は成功だ。きょう一日はエープリルフール。笑いは潤滑油として 人の心を和やかにする。笑いを伴うならうそでも大歓迎だ>

 日本を民営化するとか税金を体脂肪で納めるという程度のもので、<思わず間に受けた人> がいる? <どきっとした後、笑みを漏らした人>がいる? マジっすか? この小欄の筆者自身は <思わず真に受けた>り<どきっとした後、笑みを漏らした>のだろうか。私には、 笑いようのなさが笑える。

 私は「金口木舌」を読んでこう考えた。レキオス航空の解雇者数が記事と年表で異なっているのは 「4月馬鹿」でわざと読者の笑いを誘うためにやったのかな、と。その狙いを説明するために <笑いは潤滑油として人の心を和やかにする。笑いを伴うならうそでも大歓迎だ>と書いたのかな。

 しかし新報の記事と年表の食い違いに対する<笑い>は失笑である。 4月1日であってもなくても、 読者から失笑を買うようなことはしないほうがいい。

 4日付朝刊の「社説」は、よせばいいのにゆいレールを取り上げた。<市民の日常利用に工夫を>という 見出しである。那覇市が実施した市民意識調査をもとに<市民の日常利用は低いとみなければならない>という。 <みなければならない>などと気張る話ではない。ちまたですでに予測された通りに過ぎない。 その証拠に、「社説」自体に<翁長雄志那覇市長は「結果は予測の範囲内」としているが>と出ている。 ね、多くの人が厳しい予測をとっくにしているのだから、そんなにリキむ話ではない。

 「社説」はこんなことまで書いてしまった。<最大の利用者と見込まれる当の市民に、マイカー中心のライフスタイルを 変える気配はみられない><翁長雄志那覇市長は「結果は予測の範囲内」としているが、もちろん、このままでよいはずがない。 通勤、通学での自動車利用に変化がなければ、都市交通の渋滞緩和は望めない><今回の市民意識調査の結果を参考に さらに利用促進策を強化する必要があろう>

 こういう文章を読むと、私は聞きたくなる。「で、あなたはどうするの?」「で、新報社の社員は どうするの?」と。

 都会にはJRや私鉄などの電車網が張り巡らされている。電車や地下鉄、モノレールを 乗り継げば、たいていの場所に行くことができる。交通網が整備されているから車に乗る必要がなくなるのである。 沖縄にはこれがあてはまらない。だから車を手放せない。

 例えば沖縄で私が行動する場合、モノレールはほとんど役に立たない。 西原町の事務所→那覇空港→那覇市の新都心→沖縄市の空港通り→北谷町のジャスコ→佐敷町のガスト、 というように動くことがある。だから私はモノレールに全く期待していない。

 これと同じ理由で、県内に電車を1本走らせてもダメなのである。 私のふるさと徳島にはJR線が走っているけれど、 私は2回くらいしか乗ったことがない。交通網が張り巡らされていない限り、 利用するのはその沿線の人だけなのである。地方都市が車社会から脱却できない理由があるのだ。

 「社説」はこうした事情に触れずに、“心配顔”だけしてみた。 「社説」を書いた記者は、自分や家族や親戚や友人知人が 車をやめてモノレールに乗る生活に転換できるかどうかをまず考えるべきだった。胸や頭に手を当てて自分の問題として 考えない限り、きれいごとの域を出ない、中身のない文章に終始してしまう。

 9日付夕刊は素晴らしかった。1面では大学院大学の設置場所について<建設地は恩納村>と 素早く報じた。特ダネである。私は拍手を惜しまない。

 社会面もよかった。与那原町が経費を節約するために庁舎の掃除を町長を含む全職員で やっているという記事に拍手をおくりたい。民間業者への委託をやめ、年間に350万円浮くという。 いいことではある。ただ、それまで請け負ってきた民間業者は痛いだろうなぁ。

 新報記者は頑張っているなと思っていたら、期待通りに(?)がっくりさせてくれる記者もいる。13日付社会面の <沖縄戦繰り返さないで イラク戦反対で350人訴え>という見出しの記事に<県一フィート運動の会・ 語り部の伊佐順子さんは>とある。<県一フィート運動の会>だって? そりゃまぁ最近は 活動が停滞しているから、存在を知らない人が若い世代を中心に出てきているのは事実ではあるけれど、 新聞が間違ってはいけない。「沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会」が 通称で、正式名称は「子どもたちにフィルムを通して沖縄戦を伝える会」という。 記者もデスクも校閲記者も目を噛んで死ね。

 19日付朝刊5面に<琉球舞踊でアピール>と題する文章が掲載されている。 要約すると、玉城村にある琉球舞踊館うどいは素晴らしいので、<このような常設の劇場を、 もっとピーアールして観光に利用させる方法はないのでしょうか。旅行会社や県の観光担当局や コンベンションビューローが琉球舞踊の公演を観光コースに採りいれてあげてはいかがでしょうか>と 提案した原稿である。

 <このような常設の劇場>は「琉球舞踊館うどい」を指す。にもかかわらず、 見出しがこうである。<常設劇場を増やそう>

 この原稿の筆者は<常設劇場を増やそう>とは一切言っていない。筆者のイイタイコトは、 県内唯一の琉球舞踊の常設小屋であるうどいを応援してやろうということである。 今はなき那覇高等予備校で大学受験生相手に現代文を教えてきた人気講師(←自分で言うな)だったワタシが 保証する。

 小学高学年の国語力がある人なら間違うはずがない。その程度である。しかし、 その程度ができていない。デスクも校閲記者も見逃した。不良品を作ってしまったという 自覚はあるのだろうか。

   19日付朝刊経済面の<「オジー自慢」ビール限定販売>は、文章の一部がへたくそで、 何度か読み直しを強いられた。BEGINのメンバーも参加して記者会見が開かれたという記事で、 次のような部分があった。

 <リーダーの比嘉栄昇さんは「(ここ省略ね)」と話した。島袋優さん、上地等さんの ほかのメンバーも「(ここも省略ね)」などと話し>た。

 私が引っかかってしまったのは<島袋優さん、上地等さんのほかのメンバーも>の部分だ。 比嘉さんと島袋さんと上地さんのほかにまだメンバーがいるかのように読めてしまうので、 私の繊細な頭脳は混乱した。ここは簡単に<島袋優さんと上地等さんも>でいい。どうしてもというのなら、 <ほかのメンバーである島袋優さんと上地等さんも>だな。

 とまぁ、金を払って読んでいる新聞に対して私は無料で文章講座までやってのけるのだから、 われながら偉い(誰も言わないので自分で言っておく)。

 24日付夕刊の芸能面で気になる表現がある。高良倉吉という琉球大教授の文章である。 <りんけんバンド「EISA」を聴いて>に、事実とかけ離れた記述があるので 指摘せざるを得ない。りんけんバンドを評して<「沖縄ポップ」を代表する表現者として、 日本国内はおろか世界にまでその名を知られる存在となった>がそれである。

 私はりんけんバンドを大好きである。でも、ここまでおべんちゃらは書かないぞ。 お金をもらったり何か便宜を図ってもらったら書くかもしれないが。

 残念ながら、りんけんバンドの名前は本土であまり知られていない。 このバンドを知っているのは沖縄好きの人たちや「筑紫哲也NEWS23」(この番組でかつてりんけんバンドの音楽を 流していた)を見たことがある人くらいだろう。私の友人たちでもりんけんバンドを知らない連中は 腐るほどいる。「りんけんバンドのライブに行ってきたぞ」と自慢する私に対して、 本土の友人たちが「何じゃそれは?」と気のない返事をしたのはここ1年以内の話である。 りんけんバンドの関係者が「本土では知名度がない」と語っていたのは2年前に過ぎない。

 こんな経験をしている私には、文章の最後で<りんけんバンドは、沖縄発世界行きのサウンドを 展開する地平に達したのだ>と絶叫している高良センセに対して 「だ、だ、大丈夫ですか?」と心配してしまう。

 応援や期待の表明ならそのように書けばいい。でないと、事情を知らない県民が 誤解してしまうぞ。

 28日付朝刊の「社説」<「4・28」の教訓 屈辱を抱きしめて>は、筆者のイイタイコトが 全く分からない。1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効し、 沖縄が米軍の統治下に置かれたという歴史に大半を割き、最後に<非暴力という「4・28」大衆闘争の教訓は、 今の時代にこそ必要だ>で締めくくった「社説」である。

 私はかつて那覇高等予備校で小論文や作文も教えていた。 自分で言うのも何だが、教え方はうまい。この私が社説を読んでの感想は 「唐突な結論である。何のこっちゃ」となる。これを書いた論説記者は社説を書くのには向いているのだろうけれど、 もしも予備校で論作文を教えたら、 生徒は大混乱の挙げ句、大学に合格できないだろう。

 さて、「何のこっちゃ」ではわけがわからないだろうから、 もう少し詳しく指摘しておこう。<非暴力という「4・28」大衆闘争>の説明がない。 <今の時代>とはどういう時代を意味しているのかということを 具体的に言及していない。<必要だ>と言うのなら、何がどういう点で必要なのかを 書かなければならない。

 ほかにも、ええかっこして難しく書いたため、意味不明の文章がある。例えば、<「米軍占領」と「民主主義」 「平和主義」、混迷する世界の中で何を目標とし、何を理想として進んでいくのか、「4・28」の本質的な課題は、 沖縄にとってますます重要になっている。これは沖縄だけでなく、日本人と日本社会が抱えている 課題そのものである>。これを書いた記者は、自分が何を書いているのか分かっているのだろうか。

 最後におまけを2つだけ。

 おまけその1。3月29日付朝刊の社会面の頭記事<長寿沖縄 再びアピール>は ひどい内容だった。来年ロンドンで開かれる沖縄国際長寿会議の第2回会議の紹介で、 <沖縄の健康長寿を世界にアピールする絶好の機会>だと記事で持ち上げたのである。

 2000年の都道府県別平均寿命を見ると、沖縄県の男性は26位で、 女性は1位とはいえ2位以下との差は縮小しつつある。こういう内容を新聞は何度も何度も何度も何度も 報じてきたのに、よくまぁここまで事実に反することを書けるものだ。私は唖然とした。

 記事には<同会議事務局の糸数デビットさんは「沖縄の長寿は世界的にはまだ理解 されていない(以下略)」>という記述まである。もはや長寿の県と言えない状況になっていることを 事務局長さんがご存じないのだろうか。記者は糸数さんに問いただすべきだった。 「男性の平均寿命は全国で26番目、女性だって1位から転落する可能性が出てきたのに、 それでも沖縄を長寿県と定義していいんですか。詐欺になりませんか」と。

 取材した記者が書いた原稿を読んで、デスクは疑問を抱かなかったのだろうか。 校閲記者も「これはまずい」と思わなかったのだろうか。新報の編集局内で 誰も「この記事は変だ」と思わなかったとしたら、ああ、この私の頭が変になりそう。目を噛んで 死にたくなってくる。

 おまけその2。3月29日付朝刊12面で<琉大を去るにあたって>と題する文章を 江上能義教授が書いている。文章の最後に<沖縄県民はいま、再びテロ戦争の標的となる 不安の渦中にある>と絶叫している。江上センセご自身が<不安の渦中にある>のは 自由である。しかし、130万人もいる<沖縄県民>を勝手に<不安の渦中>に突き落としてはならない。 130万人の意見を聞いて歩いたのだろうか。まさかそこまでやっていないでしょ。 根拠なしに自分の理屈に都合のいいように一方的に決め付け、 不安をあおる無責任な言論はテロに近い。<不安の渦中>に全くいない沖縄の人を 私は何人も知っているし、いくらでも見つけることができる自信がある。

 さっきの高良センセといいこの江上センセといい、「事実」と「自分に都合のいい理想の姿」を 厳密に分けて表現できていない。こんなことは文書を書くイロハであると 僭越ながら(と本気では思っていない。単なる謙遜である)私は思う。

 以上でおしまい。一気に書いたら2時間少々かかったぞ。ああしんど。 また来月ね。(沖縄王・西野浩史)






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