『琉球新報』紙面批評・拡大版その6

 半年前のことだ。琉球新報記者の取材を受けた人が、 書かれた記事を読んで「これは私たちの真意と違う」と私に言った。 「新聞社に伝えたほうがいいですよ」という私の提案を、 この人はあっさり否定した。時間の無駄、新聞社に逆らわないほうが無難、 どうせすぐにみんな忘れる、ということらしい。

 新聞を“相手にしない”人は、新聞社にとって脅威だと私は思う。 顧客の苦情や文句が商品の質を向上させるからである。 新聞社を裸の王様に祭り上げないために、そして、お金を払って買っているのだから、 読者はどんどん注文や文句を伝えたほうがいい。

 過日、義兄が心配して電話をくれた。私の「紙面批評」が 厳しすぎて琉球新報社内で反感を買っているのではないか、というのだ。 確かに手加減はしてこなかった。だって、手加減をするのは失礼だもんね。 ただし、自分ができないことは言わないのを原則にした。世の中には 自分を棚に上げる“怪力”の持ち主がいるものだ。しかし私がその仲間入りを するわけにはいかない。

 話を戻そう。新報社から「抑えてほしい」と求められたことは一度もない。 言論を保証する度量の大きさを私は感じてきた。新報社の胸を借りて、 今回は有終の美を飾ろう(←自分で言うな!)。

 「嘉手納町 全幼小中で2学期制」(17日付朝刊1面)や「レキオス航空 6月就航を断念」 (18日付朝刊経済面)などの特ダネが光った。レキオス航空問題はよくやっている。

 『沖縄タイムス』が14日付朝刊1面で大々的に報じた記事がある。 普天間飛行場を名護市辺野古に移設するにあたり、沖縄は 基地の使用期限を「15年」に限定すると強く希望している。この沖縄の要望を、 日本政府が米政府に「協議対象にしない」と伝えている、という報道である。 要するに、日米政府間で密約があったというのだ。

 これが本当なら大変な話だ。そして、こういう密約があっても不思議ではない。

 しかし、『新報』の「ワシントン発」(19日付朝刊2面)は、 『タイムス』の報道を誤報だと指摘した。抑揚の利いた記事で妥当な扱いだった。 実際、『タイムス』の記事を読むと、米政府当局者の1人の話をもとにしただけで、 裏づけを取っていないらしいことが見えてくる。こういう大ニュースの場合、 慎重に裏付けを取らないと普通は怖くて記事にできないと思うのだが、 紙面を読んだ限りではそうした形跡が見えない。

 かといって『タイムス』の記事を全面否定する気にはなれない。 「ありそうな話」だもんね。日本政府関係者が雑談の中で 「沖縄が求めている15年の使用期限は、無理に決まっている。 真面目に考えなくていいですよ」などと漏らした可能性だってあるかもしれない。 米国では外交文書が確か30年経てば公開されるから、 それを楽しみにしよう。

 取材不足の記事を1つ挙げておきたい。 名護市許田で起きた交通事故について、 『新報』の記事(17日付朝刊社会面)には最も重要な被害者名と加害者名が出ていない。 事故発生直後は名前が分からないことがある。しかし、そういう場合は、 少し時間をおいて警察に「名前は分かりましたか」と何度も問い合わせるべきなのだ。 その作業を怠ったとしか思えない。

 沖縄市在住の女性を取り上げた14日付朝刊3面の「ひと」は 共同通信社が配信した記事である。これを見て、思い出したことがある。 沖縄戦下で新聞を発行し、戦後は新聞社の復興に尽力した元記者が 地元紙のある記事を指して「これは地元の話なのに共同の記事をそのまま載せている。 どうして自分たちで取材し直さないのか」と嘆いていたのだった。15年前の話である。

 最後に提案を3つだけ。
 「読者相談室から」の内容が「相談」とはほど遠い。 ただ、世の中には文章を書くのが苦手な人がいるから、 そういう人のために、電話で意見を受けてそれを口述筆記して掲載する欄を新設しては どうだろう。投稿と同じように名前と住所、年齢を添えて掲載すればいい。 名乗らない人の主張は無責任だから、そんなのは載せないでね。

 「論壇」も本来の体をなしていないことがある。 投稿者の関わる催しの宣伝を兼ねた原稿が異様に多い。 投稿者の目的は「論」ではなく「催し案内」にあるようだ。 それならば、「自己宣伝」や「行事のお知らせ」などの名称の欄を新設して そこに収容したほうがいい。そんなことをしたら「論壇」が埋まらなくなるというのなら、 無理をして埋めなければいいのである。「論壇」に値する原稿が来た時だけ 「論壇」欄を出せばいい。趣旨の違う原稿は、別の欄に置くのが筋である。

 英文の記事が週1回載る。これは何のために誰のためにあるのだろう。 文法や語法の解説がないから、これでは英文読解力を養えるわけがない。 おまけに記事は古い。そりゃそうだ。過去1週間分の記事から選んで 英文にしているようだから、既報ばかりになるのは当たり前である。 こういう面を『新報』ばかりか『タイムス』もやっている。 「いち抜けた」と先に言えるのはどっちだ? どうしても載せたいというのなら、 電子版に載せればいい。毎日新聞社はそうしているぞ。

 紙面を割くべき話題はほかにいくらでもある。以下に2つだけ例示しておく。

 カジノに関する記事(14日付朝刊経済面)を読んで思い出したのは、 米政府が数年かけて徹底調査した結果カジノと犯罪の増加は直接の関係がないと結論を出したことだ。 「犯罪の増減」は「人口の増減」と密接な関係がある。 人口が増えたら犯罪は増えるのは当たり前である。その場合は警察官を増やせば大丈夫だ。 「カジノができると犯罪が増えた」という街があれば、それは警察を増強しなかったのが 原因なのだ。沖縄にカジノを持ってきたら、それを財源にして警官を増やせばいいだけの 話である。カジノは沖縄で賛否のある話題だし、 感情的な反対論者には参考になるだろうから、きっちり調べて紹介してほしい。

 在日米軍の軍人の約6割がいる沖縄での軍人と軍属、家族の犯罪検挙件数は、 日本全体の3分の1にとどまるという『毎日新聞』の記事(1月22日付)は 追跡する価値がある。こういう数字を沖縄県民は知らないのだからね。 ただしあくまでも統計なので数字の背景の“読み方”は要注意ね。

 というわけで、取材すべき課題は山のようにある。どうでもいい英文記事を載せている 場合ではないと私は思う。

 以上は、2003年3月6日付朝刊から20日付朝刊を対象にした。

 『琉球新報』紙上で半年間書いてきた「紙面批評」をもとにした 沖縄王用「拡大版」は今回で終わる。新報社から原稿料が入るので、 これを財源にして「紙面批評」は続けるぞぉ。(沖縄王・西野浩史)






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