『琉球新報』紙面批評・拡大版その2

 『週刊金曜日』の問題を「報道に携わる側からすると、基本的には 情報公開が最優先されるべきだと思うが、それも当事者の立場や気持ちに 配慮するのが前提だ」などと擁護した11月19日付「金口木舌」は、 マスコミを見る世間の目を理解できていない。

 『週刊新潮』11月28日号で私が論評したこと以外の指摘をしておく と、「ジャーナリストなら何をしてもいいのか」という批判に 耐えられる報道でない限り、理解と信頼は得られないということである。 報道だのジャーナリズムだのと一見何か立派な感じがする単語を いくら並べても、実は利潤追求をする民間企業の1つに過ぎない。 そのことを認識して取材・報道をしないと、 世間の常識とずれて批判を浴びることがある。今回の 『週刊金曜日』問題を擁護する声が世間からほとんど出ていないことを 見ると、『週刊金曜日』の記事とその後の対応には大きな 間違いがあったということである。

 報道する側はあまり見えていないようだが、 記者よりも読者のほうが見識も体験も上である場合が多々ある という現実を知っておいたほうがいい。目の肥えた読者をうならせる 報道をするためには、情熱を持って丹念な取材をする しかない。今回はこの観点から紙面を検証したい。

 知事選では7日付「紙上クロス討論」が3候補に手厳しい 質問を相次いで投げかけ、候補者の中身を浮き彫りにした点で 印象に残る。例えば、再選された現職の稲嶺恵一知事に対しては 「十五年期限を米大統領は明確に拒否、政府は困難と言っているのに 新基地の受け入れは着々と進行、県民だましでは」や「口利き政治、 業・官・政の癒着を一掃するため、企業・団体の献金と選挙活動への 企業動員をやめるつもりはないか」など、相手の弱味をきちんと 突く辺りは小気味よい。「ジャーナリズム」や「報道」と胸を張ることのできる 記事である。

 選挙関連記事で違和感を抱くものがあった。2つ指摘しておこう。 1つは10日付の座談会「若者はこう見る」である。 出席者は22歳、27歳、そして35歳だった。35歳が「若者」なのか?  かなり無理がある。私は笑ってしまった。もう1つは、 13日付「期待のかたち 生活の場から」だ。 名桜大3年生の話として「沖縄で連日起きている米兵による事件・事故」という 表現を載せているが、本当に「連日」なのか。取材相手の言うことを 確認せずにそのまま載せるなら中学生でもできる。

 8日に発生した沖縄市の殺人事件(16歳の3人と女子中学生1人が 19歳の青年をリンチして殺害した)は紙面展開が後手に回り、 『沖縄タイムス』に惨敗した。『タイムス』は9日付朝刊1面で地図をつけ、 社会面では「金要求 執拗な暴行」と容疑者への批 判をにじませた。10日付朝刊では社説で取り上げ、 社会面では「“交友”の死角」という問題点を突く題名の 連載(3回)を始めた。一方、『新報』はどうだったか。被害者の 告別式広告が10日付朝刊に載ったのに、11日付朝刊が 休みだったとはいえ、社説で取り上げたのは12日付だし、 13日付社会面の「追跡」は時間がかかった割には内容が薄い。 殺害された19歳の青年とご遺族の無念に寄り添い、 事件の重大さを深く受け止めて取材したとは思えない紙面が続いた。 担当記者の姿勢と心意気と取材態勢に大きな問題があると 指摘せざるを得ない。14日付社会面で「少年らローン名義貸し要求」という 特ダネをようやく出した。この底力を早く発揮すべきだった。

 私はご遺族を訪ねて焼香させてもらい、犯行現場などを歩いた。10日付 社会面では「普通の子がなぜ…」と容疑者に言及しているけれど、 「普通の子」はこんな残酷な人殺しはしない。事実、私がざっと取材しただけで も容疑者の周辺から「やっぱり」という声を聞く。担当記者の取材不足としか 言いようがない。思考が停止した典型的な報道である。事実を 取材して報道するのが仕事なのだから、「本当に普通の子」かどうかを 確認できるまでは安易な決め付けはしないほうがいい。 13日付「追跡」ではようやく「“普通の生徒”が凶行」という見出しが 出ることになるが、それなら最初から評価を控えるべきではなかったか。 「普通の子」なら、夜中に、あんな人気のない場所で、よってたかって2時間も 集団リンチをしないのである。学校関係者は基本的に生徒の悪口を言わないのだ から、その前提で話を割り引いて聞く必要があった。

 ご遺族は『新報』を購読している。だから告別式広告を載せたのである。 『新報』からすればお客様である。これも何かの縁、 情熱ある取材をしてほしい。

 最後は、前回の本欄で指摘した 県PTA連合会のチラシの問題(不登校が援助交際の原因の1つ であるかのような文言を載せた)に関する1日付教育面の記事 について。不登校の子は家から出られない事例が大半なのに、 会長の「夜遅くまで家に帰らない子どもたちが、事件に巻き込まれることを指し たかった」という釈明を載せた。これでは意味不明だ。 私が担当デスクなら再取材を指示しただろう。やむなく私は 同会に行き、事務局長から「心因性の不登校ではなく怠慢怠学による不 登校を言いたかった。舌足らずだった。心が痛い」と聞いた。

 記者が電話で取材を済ませず、県P連に出向いてじっくり聞き、 問題点を把握していれば、もっと大きな記事にできたはずだし、 「不登校」という言葉を使う際には明確な区別が 必要であることを教育関係者に広く知ってもらういい機会に なったはずだった。『新報』がきちんと報道していたなら、 中学校長による同様の発言「不登校で問題もあったが」 (前述した『タイムス』の12日付連載で、容疑者について語った部分)は 出なかっただろう。

 おまけ。10日付2面のレキオス航空の記事で、 就航目標を「二〇〇二年四月」と誤記した。訂正はまだない。

 もう1つおまけ。これは『新報』に直接の責任があるかどうか私は 調べていないが、9日付の広告「容疑者」の見出しが変なのよ。 「ピュリッァー賞を受賞した報道ジャーナリスト、マイケル・マッカラリーが 実際に起こった殺人事件を基に描かれた超1級のサスペンス・ドラマ」だって。 「報道ジャーナリスト」というのも気持ち悪いけれど、「マイケル・マッカラ リー」が 「描かれた」と続くのはもっと気持ち悪い。広告だけでワタシをゾクゾクさせて くれるのだから、さすが「超1級のサスペンス」である。

 17日付特集面で、佐敷小を訪ねた新報の「出前記者」が一番うれしかった感 想として「新聞には記者の人たちの思いがあるのだと思いました」を紹介してい る。この純粋な目に応えられる新聞づくりを期待したい。(沖縄王・西野浩史)






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