『琉球新報』紙面批評・拡大版その1

 10月から来年3月まで毎月1回、『琉球新報』で 「紙面批評」を書くことになった。得ダネ付き(拍手!)の 第1回目原稿は27日付朝刊に掲載された。
 それにしても、原稿用紙3枚分では十分に 書ききれない。そこで、『新報』に書いた「紙面批評」をもとに大幅に 加筆して、拡大版という形でお届けしたい。
 なお、今回の批評のために『新報』と『沖縄タイムス』を 熟読したのは、10日付朝刊から24日付朝刊までである。 (沖縄王・西野浩史)

 沖縄金融公庫が採用試験のための履歴書に縁故者名を記入させていたという報 道(10月15日付『新報』朝刊)は大きな反響を呼んだ。インターネットの世界で は「ヤ フーニュース」などが紹介した。『タイムス』が16日付朝刊で追いかけたと 思ったら、同日付『新報』は「那覇市臨時採用でも」と先行、それを受けて『タ イムス』は17日付朝刊で那覇市だけでなく豊見城市も臨時採用で縁故記入させて いたことを報じて、一矢報いた。わくわくする報道合戦だった。

 沖縄公庫の問題は、この「沖縄王」で10日から掲載していた。 私が取材した時は悠長に構えていた厚生労働省が慌て て指導に乗り出したのは、『新報』の社会部記者が取材に 乗り出したからである。新聞への信頼と影響力は絶大なのだ。
 縁故者問題はこれで終わったわけではない。縁故者がいるかどうかを 入社試験の面接で聞く企業や自治体があるのだ。 さらに取材を進めてほしい。

 新聞が世の中に貢献し、読者の信頼を獲得 するのは、こういう形なのだと思う。

 世の中には知ったふうなことを言ったり書いたりする人がいるものだ。 例えば、『日経ビジネスアソシエ』11月号で斎藤貴男さんが執筆した 「決断の瞬間」には<権力に擦り寄っては強きを助け弱きを叩く情けない姿ばか りが指摘される現代のマスメディア>とある。こういう安易な文章を見るたび に、「具体例を挙げてみろよ」と私は思う。 <権力に擦り寄っては強きを助け弱きを叩く情けない姿>という、 あまりにも古典的でマンガのような記者を私は知らない。 <情けない姿ばかりが指摘される>って、ホントにそうか? ホントに<ばか り>なのか? 誰がどこで指摘しているんだ? こういう大雑把な(したがっ て、斎藤氏が批判しているらしい記者からは相手にされない)文章を書く人こそ が 「情けない」と私は思う。

 県内ではようやくというべきか、中学生相手に「援助交際」で逮捕される 人が相次いだ。私は女子高生を嫌いではない。いや、好きである(笑い)。 しかし、抱こうとは思わない。なぜか。セックスは確かに肉体的な行為だが、 その核心は「会話」であり、その「会話」の背景には知恵と経験と精神の 蓄積があるからだ。39歳の私と対等に「会話」のできる高校生がいるとは 思えない。だから中学生を抱きたいも思わない。中学生にまで 触手を伸ばすのは病気である。

 この「援助交際」という言葉が世間に認知されたのは1996年度の 「新語・流行語大賞」を受けた時だった。 県内で女子中学生の援助交際事件が相次いで発 覚したのをきっかけに、『新報』は精力的に取り上げた。社会部の 久場安志記者の連載「『顔』見えぬ性」は短期間の取材ながら的を射た内容だっ た。ただ、社説を含めて「児童買春事件」と定義していることや 大人全体の問題であるかのような記述には違和感がある。

 小6だった長男と街を歩いていた時のことである。「サロン Gスポット」とい う 看板があった。予想通り長男は聞いてきた。「Gスポットって何?」。サザン オールスターズの曲に「マンピーのGスポット」というのがある。これを聞くた びに 長男は「Gスポットって何だろう?」とつぶやいていたから、この質問が来るの は 時間の問題だったのだ。「それはだな」と私は場所や愛撫の仕方まで 一生懸命に説明した。小4の長女にはつい先日 「セックスは大切な行為だから、心から好きな人とだけしなさい」と熱弁をふ るった。

 このような私には、中学生にもなって体を売ること(これを売春という)の 是非を理解できていない少女を擁護する気はない。 それにしても、県教委は各学校に性教育の特設 授業を実施させるようだが、教師の手に負えるのか。学習指導要領の枠が あるから、限界があるのは目に見えている。その辺の検証記事を 読みたい。

 なお、県内の裏事情に詳しい人に言わせると、「その筋の遊び慣れた 人たちは素人を相手にしない。実際、逮捕されているのは遊びなれて いないと思われる人ばかりだ」ということになる。

 援助交際に関連して、県PTA連合会がトンデモナイことをやってくれた。 元締めの同連合会が つくり、下部組織に配布した「緊急アピール」(写真上参照)には大きな 問題があることを指摘しておこう。

 「緊急アピール」のチラシは、事件の頻発の背景として「不登校や家出等、子 どもたちの置かれている生活環境」を挙げているのだ。 私が文部科学省と県警、県教委で調べた限りで は、不登校と援助交際の関連を証明するデータはない。

 東京にある不登校の専門組織で相談員を務める女性は 「不登校の実態をご存じないのではないか。あ然とする」と語 る。また、かつて子供が不登校だったという県内在住の女性は 「このチラシは善意のかたまり。それだけに、 不登校を援助交際に関連づけられたのはショック。 チラシに電話番号が載っていたらすぐに抗議したのに」と批判する。

 ここから先、県PTA連合会への本格的な取材は、『新報』の 社会部記者に任せたい。

 県教委が英語教師に英検準1級以上の資格をとらせるという 記事(10月10日付)を読んで、私は疑問を抱いた。社会では トイック(TOEIC)が主流なのに、なぜ「英検」なのか、と。 記事にはその辺りのことが説明されていないので、私は 県教委に聞いてみた。すると、文部科学省が「英検かトフル」と 言っているので、県教委は「英検」を選んだという。トイックを 外した文部化学省の意図や県教委が「英検」を選んだ理由を 取材してほしかった。役所の発表モノを書くだけなら中学生でも できるんだから。

   さて、『タイムス』を少し見ておきたい。教師の 障害児への体罰事件を、情報公開条例制度を 使って報じた屋良朝博記者の署名記事 「ニュース近遠景」(17日付)は見事だった。 こういう調査報道をもっと読みたい。

 また、23日付朝刊1面の「米軍機事故 民間の81倍」という 得ダネ(写真下参照)も非常に素晴らしい。 米議会調査局の報告書をもとにした 報道で、数値の裏付けがあるので説得力のある報道になった。 実は私もこの類の「数値」を調べようとしていた矢先だった。 先を越されてしまったのは少し悔しいのだが、率直に「お見事!」と 頭を下げたい。

 最後に『新報』に戻ろう。 13日付読書欄で『戦後野球マンガ史』という本を紹介した際、『戦 争野球……』と見出しを間違ったのに、未だに訂正を出していない。本の 写真が大きく掲載され、「戦後野球マンガ史」の文字がはっきり見えるにも かかわらず、確認を怠った。17日付「記者の余録」で校閲記者が「気を引き締め て仕事をしたい」などと当たり前の 話を書くくらいなら、訂正を出さない理由(が万一あるとして)を書くほうがよ ほどましである。失敗を謝ることは恥ではない。頬かむりを決め込む姿勢こそが 恥である。






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