新進気鋭のイラストレーター大城美玲さん

 デザインの素敵な家具や雑貨を取り揃えているお店が 那覇市小禄金城に最近出来たので、のぞいてみた。 なるほど、フランスやイタリアからの直輸入だけあって、 家具や食器類の展示を見るだけでも楽しくなる。 そんな一角を利用して、こじんまりではあるが、 人目を引くイラスト画の個展が開かれていた。

 原色をふんだんに使って女の子を描いている。 伸びやかでリズム感あふれる描写は、 見る者を楽しくさせる。また、単純な線ながら確固たる存在感が 漂う描写は、店の雰囲気と非常に合っている。
 うーん、いいイラストだなぁー。さぞや著名な外国人の 作品だろうと思い、さらに作品に見入っていると、 片隅に小さく「MIREI OSHIRO」のサインがある。 ん? オオシロ? ということは沖縄の人? 私は 2度ビックリだ。沖縄にこんなにセンスのある絵を描ける人が いるのか。どうしても作者に会いたくなった。さっそく取材を 申し込んだ。

 取材の日である。イラストの派手めな色使いから、 さぞや今風の、茶髪で、目にはブルーのコンタクトでも しているような女性を想像していた。 ところが目の前に現れた女性は意外にも正統派で、 癒し系に属する笑顔の素敵な女性だ。

 「みれい」という名前から、あの「落ち葉拾い」で有名な 画家のミレ−を連想してしまう。「ご両親は将来を見越して 素敵な名前をつけましたね」と話しかけたところ、 「いえいえ、小さい頃はダジャレに使われたりして、 よくからかわれたりしたんですよー」。
 美玲さんは1974年5月、北中城村に生まれた。3人姉妹の 長女である。幼少の頃から絵を描くのが好きだった。 高3の時、周りが進学や就職活動に躍起になっていた頃、 「将来、私はどんな道に進めばいいのだろうか」と悩んだ。 見かねた母親から「絵が好きなんだから、 美大にでも進んだら」と言われたのがキッカケで、 「この道より我を生かす道なし」の覚悟が出来た。

 「ただ単に絵が好きなだけじゃ美大は受からないし、 デッサンとかいうのは全くの未知の世界でしたから、 まずは美大の予備校でじっくり基礎を学びましたね」。 えらい!

 その後、沖縄県立芸大デザイン科に合格する。 98年に卒業し、東京の広告制作会社に3年間勤めながら イラストを描き貯めた。いつかは古里の沖縄で 活躍する日を夢見ながら。

 2001年4月に退社し、沖縄を拠点としての 制作活動を始めた。そんなある日、作品を携え、 近所にあるお気に入りの雑貨屋「mix Life‐style」に行った。 店長さんに「自分の作品を置かせてもらえないでしょうか」と 直談判するためだ。絵を見るなり店長さんは快諾し、 「MIREI OSHIRO」は幸先の良い幕開けになった。

 それからは、とんとん拍子に道が開けた。雑誌「HANDS」や イベントの絵柄を頼まれるなど、多忙で充実した日々が続き、 沖展入選まで果たした。

 沖縄で勤めていた会社を最近辞め、 いよいよイラストレ−タ−「MIREI OSHIRO」として 本腰を入れた活動を始めた。将来の夢は、 「イラストだけの枠にとらわれず、いろんな分野に 携わっていきたい」と非常に前向きだ。そして、 「ホームページを通じて、自分の絵が世界中に発信できればいいかなぁなんて 思ってます」と言う。

 人生の勝者とは将来の青写真を 確固とした像にすることのできる人なのだろう。 どんな小さな機会も逃さない行動力こそ 夢を獲得する近道なのだということを、今回の取材で 私は勉強させてもらった。終始にこやかでおっとりした 口調なのだが、ユーモアのセンスを端々に見たことも記して おきたい。「センス」に恵まれた人なのである。

 さて、百聞は一見にしかず、である。 美玲さんのイラストの素晴らしさをじっくりと見てほしい。 なお、顔写真は「イラストのイメージと合わないと困るので」ということで、 残念ながら撮らせてもらえなかった。ご了承ください。 (沖縄王・ハブ太郎)

美玲さんへの連絡は、bellandlily@hotmail.com 





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