全国メジャーデビューの仲田まさえさんに聞く
「これまでの10年」と「これからの10年」


 喜劇の女王・仲田幸子さんを祖母に持つ。 芸能一家で育ち、20歳で本格的に舞台に立ち、 2002年には芸能活動10年を迎えた。 テレビの広告でも 民にはおなじみだ。全国メジャー初登場となる11年目を 踏み出す仲田まさえさんに話を聞いた。(文=沖縄王・西野浩史、 写真=沖縄王・BEEN仲栄真)

 30歳になるのが楽しみだった。 それまでは誰かにあれこれ指示されないと落ち着かなかった。 30歳になれば迷いはなくなり、筋が通った 生き方をしているだろうと思い描いていた。 ところが、30歳を迎えてCDを出す話が舞い込むなど、 ますます「これからどうなるんだろう」という状態に なっている。

 高校3年間、マクドナルドのひめゆり通り店で バイトをした。高校を卒業したあとは、琉球新報の 朝刊の配達を2年間した。お金をためて東京に出たいと 思っていたから頑張ったのである。

 将来何になりたい、という具体的な目標がなかった。 東京に出たら見つけることができると思っていた。 高3の頃から「東京に出たい」と家族に言い続けていた。 家族からは反対されたが、20歳になったら許してくれるだろうと 勝手に考えていた。

 高校の卒業式を前に、髪の毛を短くした。 幸子さんはショックを受けたようだった。 しかし、前述したように、この頃は「東京に行きたい」という思いが 強く、舞台に立つことになるとは思ってもいなかった。

 転機は突然やってくる。舞台に出ていた母親が休むことになり、 「代わりに立っとくだけでいい」と言われて 初舞台を踏んだ。また、幸子さんの40周年記念公演に 際しては「この劇のこの役なら まさえにできるかもしれないから、やってみなさい。 お小遣いあげるよ」と誘われた。記念すべきお祝い公演だし 自分にできるのならと思い、またお小遣いも少し気になったので、 「やるやる」と即答した。こうして舞台に出るようになる。 20歳の時だった。

 幸子さんからは「まさえは100%できなくても、 20%で大丈夫だよ」と妙な激励をした。 三線の先生も「何とかなるから大丈夫」とこれまた 妙な激励をした。誰一人として、「もっと練習しないさい」と 言わない。そうなると、かえって不安になるものである。 私ができる仕事はほかにあるのではないかと考えることがあった。

 舞台に出て5年くらいは、違和感があった。 幼い頃から見ていたので、「芝居」などに対する自分なりの印象がある。 自分が出ることでそれを壊している気がしたのである。

 お客さんは大喜びしてくれる。「日本中を回ったけれど、 沖縄に来ると文化に直接触れることができる。別世界に 来たみたいだ」と喜んでくれたお客さんが大勢いた。しかし、 自分は舞台で何をできているわけでもないと思うと、 お客さんの喜ぶ様子を見るとかえって申し訳ない気持ちになった。

 琉球舞踊や三線などを習い始めたのは、 舞台に出るようになってからである。鏡を見るのがイヤになるくらい 踊りがぎこちない。ものごころついたころから芝居は見て来たが、 琉球舞踊は見たことがなかった。そこで いろいろなコンクールを見て回るようにした。 古典の旋律で睡魔を催すことがないわけではなかったが、 実際に学ぶと、一歩一歩足を音楽に合わせるのが 心地よい。沖縄の芸能の奥深さに少しずつ触れていった。

 少し熱があっても、幸子さんは「大丈夫。化粧を してみなさい」と楽天的に声をかけてくる。 祖父に助け舟を求める目線を送っても、 「ファイトファイト」という返事である。覚悟を決めて舞台に あがり、歌や踊りを披露しているうちに、いつの間にか 治っていた。稽古の際に舌が回らずうまく言えない言い回しがあり、 出演する直前まで言えなかった。それが舞台では 見事に言えた。舞台の持つ威力に驚いた。こういう経験を重ねて いくうちに、舞台に上がるのが楽しくなってくる。

 5年前に家族でCDを出した。その頃から いろいろな人やお客さんと話すようになり、 自分の芸でも喜んでくれることにうれしさが出てきた。 応援してくれる人に自分の表現をきちんと伝えたいと 思うようになった。

 2002年秋には歌手としてCDづくりをした。 CDの収録には大勢の人が関わり、 作業をひとつずつ丁寧にこなしながら、 新しい曲を生み出してゆく。マイクの前で歌いながら、 ガラスの向こうをふと見ると、プロデューサーたちが 喜んでくれている。それを見て、自分もうれしくなった。 CDが発売されたあかつきにはみんなに聴いてもらいたいと 思う。聴いた人に沖縄の空気を感じてもらい、喜んでもらえれば、 自分もうれしい。

 歌は3分で1つのドラマを伝えることができる点が 歌の持つ力だと思う。歌う楽しさをあらためて知った。 これからは詩を書いていきたいと思っている。もちろん 音楽は好きである。ビギンやモンパチなど沖縄の 音楽家・演奏家のものは全部聴くほどだ。 こうした活動に対して、「歌の道」に進むのではないかと 幸子さんは少しだけ心配している。 心配を吹き飛ばすくらいの結果を出して安心させたいと 思っている。

 音楽のほかに好きなのは映画である。 特に子供が一生懸命やっている物語が好きだ。例えば 『サイモンバーチ』や『エミー』がお気に入りなのだ。

 もうひとつ好きなことがある。空手である。 3年前から始めた。 松田三線店の芳正さんに小林流を 習っている。父親の仇を討つという 芝居で空手の動きをする必要が生じたのがきっかけだった。 最初は突きや蹴りといった基本を学んだ。 そのうちに面白くなってきて、最近は型の稽古に 熱中している。子供の頃に見たジャッキーチェンの映画が 好きだったので、稽古が楽しくてならない。

 幸子さんの存在は大きい。 県内各地で「おじぃとおばぁを大切にしなさいよ。 私たちに笑いをくれた人だからね」と声をかけられる。 実際、舞台に立つと、お客さんたちが笑おうと 待ち構えていることをひしひし感じる。そこに幸子さんが 登場するだけで、拍手喝采となる。幸子さんの口から出る どんな言葉も、お客さんを大笑いさせる。

 人を喜ばせるのは楽しい。舞台の袖で、お客さんの 笑顔を見ると、やめられないと思う。しかも舞台はその場で 結果が出るから、やりがいがある。

 振り返ると、10年はあっという間だった。 最初は「私を舞台に出して何かあっても知らないからね」という 気持ちが少しあったけれど、今では「私の出番はこれだけ?!」と 意欲的である。自分で自分の変化に驚いている。

 これからの10年間は、 この仕事を続けながら家庭を持っているだろうと思う。 芝居をして、歌を歌う。それらの真ん中にあるのは 「感動」である。「感動」を伝えるために、芝居と歌を 続けて行きたいと思っている。


<仲田まさえさんのCD発売情報>
ファースト・シングル沖縄限定発売
「千夜千夢/光の詩」
天才「京胡」演奏家の呉汝俊(ウー・ルーチン)共演
品番:NBCD−1001
価格:1000円(税込)
発売元:泪橋レコーズ
販売元:沖縄レコード商事(電話:098-098-5919)
    ブレイヴワークス(電話:03-5779-6555)
問い合わせ:ディグ音楽プロモーション(電話:098-890-3050)
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