石川真生さんが語る新著『沖縄ソウル』と「真生ソウル」

――非常に面白い本です。

 沖縄は本土の代弁者を立てて自分ではものを言わない。 一方代弁者は沖縄に来て、発言したり写真を撮ったりして 金儲けをしている。沖縄はそんな人たちに 「ここにはこんなのがありますよ」とコーディネートばかりしている。 自分たちがやるべきことをヤマトの代弁者に あげてしまっている。
 これって何? 自分たちで発信すべきなのに。 自分たちがよさも悪さも一番よく知っているのに。 通りすがりの人ではない、ここに住んでいる者の強みってのが 絶対にあるじゃない。


――筑紫哲也、宮本亜門、池澤夏樹、永六輔さんたちの 発言を地元は注目しますし、取り上げます。


 それは単なる有名人病じゃないか。 代弁者の発する言葉や映像を見聞きして「これが沖縄か」と 感動する沖縄人がいたら、私は悲しいな。
 ヤマトの代弁者が全部が全部だめとは言っていない。 戦争経験者もなく、基地問題も解決して、 これからは明るい沖縄よねということで、 明るいオバァの話や音楽、文化の話を語って、 「明るい沖縄」を前面に出すならいいと思う。でも、 今は基地問題が動かないままで、きつい現実もある。 両方を出さないと「沖縄」の話とは言えないさね。
 映画『ナビィの恋』には私も感動したよ。泣いたし笑ったし、 あれは傑作だよ。だけれど、ヤマトの人が撮った場合の オバァはあんなでいいとして、 沖縄の人が撮ったらオバァはどう描かれるのかと私は思ってしまう。 そういう民族主義がうずうずするわけさ。 「島唄」は確かにいい歌で、私も口ずさむけれど、でも、 喜納昌吉の歌がずっといいと私は思う。


――生粋の沖縄民族主義ですね。

 ヤマトは何もするなと言っているのではない。 彼らが愛する沖縄の表現はそれでいい。 でも、それを手をこまぬいて見ているだけの沖縄人はバカだ。 沖縄人は声を発し、写真を撮り、映画を撮り、歌を歌い、絵を描いて、 そういう発信をして、メイドインオキナワをヤマトに見せつけようよと 私は言っている。

――ところが現実は……。

 でも、ヤマトの人間が発信したもののほうが人気が高いし 評価が高いし金を稼いでいるから、沖縄人の私は羨望と嫉妬の 入り混じった気持ちで見ている部分があるわけさ。嫉妬メラメラだよ。

――う〜む、嫉妬ですか。

 例えば写真。(写真仲間の)知人がこう言っていた。「自分たち 沖縄の人間が撮った写真には沖縄のニオイがあり、 生活臭があるし、思いがあり深さがあり思想信条がある」と。 確かにヤマトから来た写真家は技術があるし見せるすべも知っている。 でも、自分たちの写真のほうが(中身は)詰まっているわけさ。それは 私の仲間の写真や自分の写真から感じるという自負心がある。 沖縄人は売るのが下手よ。昔から言われている。

――確かに。

 沖縄で何かあると、沖縄の人に語らせず、 「はい筑紫さん語って」とか「はい池澤さん語って」となって、 ヤマトの有名人に語らせる。これって何だばー。 沖縄の人間がいるのに。
 石川真生が吼えるより、池澤夏樹がこう言っているというほうが、 みんな見て、「はぁ、池澤さんはこう言ってるんだ。 沖縄はこうなんだ」と思うわけさ。ネームバリューはすごい。
 私はヤマトをあまり意識せずに好き勝手に写真を撮ってきたけれど、 ヤマトの人がどんどん発言して沖縄の代弁者になっていくのを見ると、 嫉妬や憎しみ、羨望がわいてくる。
 沖縄の人が有名になって、沖縄の人自身が沖縄のことを 語らないとダメなのよ、ということを最近意識しているから、 喜納昌吉に負けないように沖縄を発信する人にならなければと 思っている。
 私には写真と文章がある。ただ、ヤマトの著名人のような 発言の場が(私には)与えられていない。そのために、私が有名人に なってやろうという気概はあるよ。

――幅広い中身の本です。

 別の沖縄を見てほしいという思いがある。 基地、戦争、青い海といったパターンが一般的だけれど、 私が自分の主観で描いた沖縄だってある。そういう沖縄を見ることも 面白い。

――けっこう過激です。ここまで書くかと驚き ました。

 本に書いたのは、これまで秘密にしていたことを 暴露したものではないわけさ。周囲にしゃべりまくっていたことを 書いただけ。20歳のころの私の裸の写真も載せた。 1ミリの照れは私にもあるわけさ。
 田舎者が東京で自分の人生を暴露するのは簡単。でも、 田舎者がしがらみの多い田舎で自分の裸の写真や 人生を暴露するのは、かなりきついものであるわけさ。 でもそのきついのを、「やりたいことをやって 言いたいことを言おうよ」というのが49年の人生の柱だからね。 それを実践したということで。
 全く躊躇がなかったかというと、1秒くらいはあったよ。 知らなかった人にも見せることになるのだから。 でもそれは1秒の勇気さ。勇気はいるけれど、 殻を出たら楽なんだよ。 「好きなように生きて何が悪いの、好きに生きて いいんじゃない」という、かっこつければメッセージになるわけさ。
 どんな問題でも、基地の問題でも、私は周りを 気にせずに自分の意見を言ってきた。 自分が言ったら、狭い島だから、非難ごうごうを受けることも ありうるさ。名前は出さなかったけれど、 具体的に書いて批判しているのがある。

――名護の基地反対派のことですね。あの批判はよかった。

 すごくよく知っている人なのよ。この人が頑張っていることもよく 知っている。でも、見て見ぬふりをするんじゃなく、 言うべきことや言いたいことを言おうという自分の気持ちを 優先させた。
 革新の人たちは自分たちを“正義”だと思っている。でも、 同じ人間同士ではやっちゃいけないことや仁義ってものがある。 「これっておかしいんじゃない」と言うべき人が言わないと、 正義の陰に隠れてしまう。
 自分の権利を守るためには相手の権利も守らないといけないさ。 権利を守る過程で、革新の人はそれを忘れていることがある。 自分が正義だから。相手が悪なんだということで、やーっと突く。 でも突かれた方は大変さ。
 民主主義の世の中なんだからお互いに意見を言えばいい。 そのことを私は指摘した。刃を向ける相手は政府や権力であって、 民間のペーペーの人に向けるべきものでないでしょ。それを私は 指摘しただけであって。私のエールであり愛情の裏返しであるんだよ。 そんなことしないで、もう少し方法を考えてよ、と。基地に賛成している人でも 迷っている人でも、あなたたちのことを理解してくれるんだから。
 このクソ狭い沖縄で生きるのは、息ができないことが いっぱいある。いいことも悪いこともお互いに見張っているような息苦しさがあ る。自由に言っているようでいて、実は自由じゃないこともある。 そんな沖縄で、表現者自らがヌード写真を出して 暴露したものがあったかと聞きたい。相手を暴露するのはあったかもしれない が、表現者が自分をさらけ出したことは恐らく誰もやっていない。 小さな島での挑戦でもある。

――というのが、執筆の動機ですね。

 自分を分析して言葉であえて表現したらこうなるけれど、 実際はさらさらさらとやったんだけどね。

――(大笑い)

 だから1秒の迷いしかなかった。迷惑をかけるのは娘だから、 「ママの裸を出すけどいいかね」って聞いたら、「いいよー」と。
 私は面白いことしかしたくない。単発で。長くやるの疲れるさね、 はっきり言って。組織とか団体って大嫌いだよ。何で人と合わせてさ、 性格が合わない人とでも表面的には合ったふりして、陰でコソコソ 悪口言って。疲れるじゃない。単発だったら、ちょっと気に食わないの でも我慢できるわけさ、一発勝負だから。 悲惨なことも楽しくやらんとよ。悲惨なことを悲惨にやってみ。 疲れるさーね。奈落の底に落ちるよ。

――(大笑い)ところで、この本では沖縄の マスコミにも言及していますね。

 私は沖縄を飛び越えて東京で発言するタイプではないから、 地元で発表したい。広くみんなに見せるためには新聞しかない。 その場を与えられなかった時の悔しさ。自分はいいものを持っている というプライドはある。だって6年間密着して、一番深く人間関係を 結んでいるのは私。“木”の一本一本が見える。マスコミが“森”を 見せるのなら、私が見える“木”と合わせて 両方を載せたほうがいい。

――そのマスコミでも大勢の人がこの本を 買ってくれているんですってね。

 「みんなが買ってくれているんだよ」と娘に話したら、 娘は「ママね、みんな、ママが死ぬと思って、 記念に買っているはずよ」って言われてさ。「あんたよー、 きついこと言うね」。うちの娘、きついのよ、言い方が。

――(大笑い)。娘さんはお母さん似だ。で、 この「石川真生」は本名でなかったんですね。

 本名だと言ったことは一度もないよ。聞かれたら、 「ペンネーム」と答えているよ。 でも、私だって「真生」は娘にもつけたし……。
 本名を使うのは娘の学校に行く時や 役場からの書類、入院する時くらい。
 娘を引き取って離婚する時、旦那に申し訳ないと思って 旦那の姓をそのまま名乗ってるのよ。 ところが彼は去年か一昨年に再婚したものだから、 そこに本物のミセス何とかさんがいるわけさ。 それに対する私の気の落ち込みもあるわけよ。 昔の名前に戻しておけばよかったな、センチメンタルに ならないで、と。だから今は余計に使いたくない。

――写真家として女性であることは得ですか。

 得だね。だって自分が拒否されたのは、 アダで男だけの祭りがあって、その時だけ。 それ以外は、男の世界にトコトコ行くと、 しかめっ面している男は男が来たら構えるところがあるけれど、 女だからユルユルになって入れてくれる。 また(取材相手が)女(の場合)は女同士だから入っていける。 「女で得したなー。オレたちが入れないものに入れるじゃないか」と 周りの写真仲間からも言われるしね。
 辺野古で基地賛成派のおじさんたちが かたまっている時があった。沖縄のおっさんはみんな顔が濃ゆくてヤクザみたい な顔してるじゃない。いい人も悪そうに見える顔でしょ。それがかたまってい る。そこに私はヘラヘラ笑いながら近づいていって。 「あっちに行け」と言われても「そんなこと言わないで」とめげなかった。 保守系の人は、めげない人が好きなのよ。意見は違っていても、 何回も来るような元気者は入れてくれる。保守系の余裕かも知れないけれど、そ れは体得している。
 取材者側に怖いイメージや偏見があると、 行く前から「ダメよね」「嫌われるよね」となってしまう。 (そうなってしまったら)こちら側の問題じゃないか。
 私はめげずにヘラヘラと行く。私はふだんは目つき悪いと言われるが、 取材は愛想いいのよ。それで意外と仲良くなる。で、すんなり入る。

――名写真家は現場への溶け込み方がすごいと言われます。 実際に真生さんもそうなのですが、コツはあるんですか。

 私は自分のことをちゃんと話すタイプなのよ。身の上や信条、 その問題への考えまで。相手は私のことを知るから 安心できるわけ。あるおじいがこう言っていた。 「真生はそんなふうに言ってくれるからいいけど、 どこかの取材記者は一方的にしか聞かない。 そうなると、自分は辺野古の代表になってしゃべっているような気に させられるから、絶対に間違っちゃいけないと思って 緊張してしまう。とっても疲れる」って。
 私は自分の意見を言いながら、自分が何者かを話しながら 入っていく。相手は警戒心を解いていく。 自分が29年やってきて体得したこと。 単なる私の性格。それに加えて「術」を習得したということ。

――マスコミとは違いますね。

 マスコミは「主観を入れてはいけない。 客観的報道が大切だ」などと言う。そこで、 私は若い記者にこう言ったことがあるよ。 「えー、あんたよー、客観的って何か」と。
 世の中はすべて主観なんだよ。 私は客観的に取材したことは一度もない。報道はクールに引くけれど、 私はズボズボ入りまくりだもの。 意見を言いまくって、「客観的」とは無縁。だから私は 報道カメラマンじゃない。私は相手と距離を置かないからさ。

――この本にはいろんな写真が掲載されています。

 自分が大筋で選んだ写真の中から編集者が選んだ。 自分がやったらもっと偏った写真を載せていたんじゃないかな。

――お気に入りの写真はありますか。

 10人いる子供のどれが好きかと聞かれる親のつらさと同じ。 1つ1つに思い出がある写真だからさ。 人に出すというのは及第点を与えているわけ。全部好きに 決まっている。

――今後の取材対象は。

 今、手をつけているのは秘密よ秘密。でも、沖縄のもの。 沖縄のものしかやらないから。 90年代に撮ったもので未発表のものがあって、 今の撮影分を合わせて結実しようと思っている。
 ヘリ基地については地域住民に密着してきたけれど、 全く別にアプローチをし始めている。これは6ヵ年 やってきて到達した地点かな。

――この本を出すきっかけは。

 去年、直腸ガンの手術をして退院した時に 琉球新報の記者から「真生さんの人生は面白いから 本にしようよ。全国区で売ってお金もうけしようよ」と 言われて。病気で気弱になっていて、(この先が)どうなるか分からないと 落ち込んでいたこともあって、残しておくのもいいかなと思ったわけ。 「じゃあ、あんたが出版社を探してくれるんならいいよ」と言ったら、 編集者を探してくれて、ちゃんとやってくれた。
 写真はあるので、あとは原稿だけ。でも私はナマケモノだから ほとんど書かなかった。そうしたら、テープに録音して、 テープ起こしをしてくれて、それを私が自分の言葉で修正した。


――真生さんの若い頃の写真もありますね。

 私がこれは欠かせないという写真を渡して、 (そこから)編集者が選んだ。彼は『熱き日々inキャンプハンセン!!』という 写真集を見て、ここに載っている私の写真も使いたいと言い、 それを撮影した比嘉(豊光)さんもOKしたので、 私は黙ったわけ。

――それで、裸の写真も。

 「ヌードとかベッドシーンもあるけど」 「必要なの?」「入れたい」「じゃあいいよ」となったわけ。 編集者の見方やどんな写真が必要かということは 私も分かるから。彼に全部任せたのだから任せた。 「私の見せ方」を彼は考え、それを私は彼に一任したわけさ。
 私の顔も服装も髪型もコロコロ変わっていたころで、 (私を撮影した)比嘉(豊光)さんが「来るたびに顔が変わっている。面白い」 と言ってた。

――私がいいなぁと思ったのはこの写真(12ページ)です。

 この時は彼氏が帰っちゃうんだって哀愁いっぱいの状態よ。

――読者の反応はどうですか。

 メールはいっぱい来る。ヤマトの20代から40代で、 女が多い。沖縄が好きな人たちで、いろんな沖縄の本を 見てきた人たち。「いろんな意味で刺激的で、 生き方に感動した」「違う沖縄が見えてきた」と言う。 人工肛門の写真を「かっこいい」と言ってきた人もいる。

――この本を読むと、怖いものなし、という感じを受けます。

 私は開き直っている。もともと開き直った人生だったけれど、 (ガンの手術のあとで、数年後に私は)生きているかどうか 分からないという時に作った本だから、 さらに磨きがかかっている。 「怖いものはない」というのは当たっていると思う。
 元夫や元彼が見るかも知れない。 けなされた人が見るかもしれない。でも、相手に愛情を持って 書いたつもりだから、それでも何か言ってくればちゃんと 話をするしかない。


――なんで、こういう生き方ができるんでしょう。

 「性格」のひとことに尽きるってば。

――(大笑い)

 だから気負いはないよ。

――髪の毛を染める先駆者でしたね。茶髪がはやる はるか昔から、真生さんはいろんな色に染めてました。 遠くから見ても、「あ、真生さんがいる」と分かったものです。

 髪の毛は10年位前から染めている。 ちょうど、引きこもりが話題になり始めたころ。友人の子供が そうなっていて、私は会いたいと思った。 ドアを開けるのはどうしたらいいか(と考えた結果)、 「変わった格好がいい。よし金髪だ。髪を染めよう」と。 その後、別のテーマの取材に行ったので、(引きこもりの取材は) 棚上げよ。でも、髪染めは楽しくなって、やり出した。
 「あんなアメリカーの真似をして」と思っていたのが、 自分がやると、服を買うのと同じで、おしゃれ(の1つに過ぎない)。 色を楽しんでいる。化粧や服を替えるのと同じだということが 分かった。
 (今振り返ると)金髪だったらドアを開けるかなという私の発想は おかしかったかな。

――(大笑い)。






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