石川真生(いしかわ・まお)さん
写真家


 働く人を紹介する第1回目は、真生さん以外に いないというのが私の結論だった。

 真生さんは『沖縄タイムス』で2002年1月8日付から 「まおの孤軍奮闘」という連載を始めた。毎週火曜の掲載で、 計10回の予定だ。

 その1回目の冒頭に描いたのは、 腎臓ガンの手術から1年後の2001年10月、 直腸ガンを医者から告知されるところだ。その衝撃を こう書いた。

 <男をとっかえひっかえ恋愛し、セックスしてきた私。四十八歳の今でも性欲 おう盛の女盛りだ。
 女、女して生きてきた私が人工肛門を腹の上に付けた ぶざまな姿で、男の前で裸になれるわけないじゃー ないか! 女のプライドが許さない>

 真生さんはいつも本音でしか語らない。だからド迫力がある。 基地問題という県民世論を二分するテーマを取材する場合も、 自分の立場を明確にしたうえで取材対象に真正面から切り込む。 真生さんと立場が違う相手から信頼される理由は、 その裏表のない姿勢である。

 写真家を志したのはいつ? そしてなぜなのか? 話は 沖縄が本土に復帰する前の1971年11月10日にさかのぼる。

 この日、返還協定反対のゼネストが行われた。 過激派の一部と機動隊が衝突し、警官1人が死亡する事態になった。その現場に 真生さんは偶然居合わせた。当時は小禄高の生徒だった。沖縄にセクト運動に やってきた東京教育大(現在の筑波大)の学生と恋愛中で、その彼に憧れてつい て回って いたのだ。

 真生さんのすぐ近くで、警官が倒れていた。 過激派の投げた火炎瓶で炎に包まれたあとだったようだ。 体から白い煙がプクプクと上がる。ピクピクと動いた。

 予想しない光景を前に一瞬固まっていた機動隊が一斉に なだれ込んできた。止まっていた時間が急に動き出したかのように、人が動く。 真生さんは逃げた。家の屋根づたいに 逃げた。逃げながら、泣いた。嘔吐した。人が死んでゆくのを 見るのは初めてだった。

 真生さんは思った。何で沖縄の人が殺し合いをしなければならないのか。こん な運動は嫌だ。燃える沖縄を何かで 表現したい。

 高校では写真クラブに入っていた。写真で沖縄を表現しよう。 写真家・石川真生の第一歩がこうして踏み出された。 仕事の話を聞く前に、少しだけこの頃の真生さんを 見ておこう。

 家出して、例の学生と同棲していた。 そこに父親と親戚が数人踏み込んできて、 真生さんの身柄は確保された。 大人が勝手に私の人生を決めるな。 自宅に連れ戻された真生さんは、網戸の網を破って逃げた。 外では彼が待っていてくれた。気づいた父親が追いかけて来る。 彼と取っ組み合いが始まった。「逃げろ」。彼の言葉に背中を押され、通りか かった車に「変な人に追いかけられているんです。助けて」と言って乗せてもら い、その場を逃げ切った。

 どうです。すごいでしょ。ではここから仕事の話を。

 真生さんが使うレンズは28ミリと50ミリだ。 撮影対象にぐんと近づく必要があるレンズである。 望遠レンズは使わない。相手が撮られていることに気づかない ような距離でカメラを構えたくないからだ。

 近距離での撮影を続けてきて、 人は外見では分からないとつくづく思う。 「外見が怖くても、話してみたら普通の人であることが 多いわけよ。そういう外見の人ほど、人がいい。 単に顔が濃いだけ」

 被写体に選ぶ相手は、真生さんが人間としての 興味をそそられる人だけだ。どれだけ口で立派なことを 言う人でも、記録上どれだけ重要な人であっても、 人間として興味の起きない人は撮らない。

 何年もかかる取材をすることがある。名護市の ヘリ基地問題には96年10月から取材を続けている。 今でも週に1、2回は通う。新聞やテレビの記者で これだけ継続して現場取材をしている人はいない。 「私の取材は非能率よ」と笑うが、それを楽しんでいる 節がどこか感じられる。

 取材を通して長く深く接するので、 取材相手とは影響を与え合う。その経験から、 「人は感情の動物。人ほど難しいものはない」と言い切る。 と同時に「人の人生ほど面白いものはない」とも言い切る。

 人間が好きなのだ。だから人を撮る。 「ふだんの私はものぐさだけど、カメラを持ったら、 どんな人にでもツカツカと寄って行く」。普通の石川真生から 写真家の石川真生に変身する瞬間である。
 
 真生さんは漫画やテレビを見て涙を流す。 感受性が強いのだ。取材現場で悲しいことやつらいことなどの ドラマが展開されることがあると、すぐに泣いてしまう。 しかし、泣きながらも、写真の構図を考えてきっちりと シャッターを押している。「喜怒哀楽の激しい個人」と 「非情な写真家」の両面を持つのだ。

 「因果な商売よ」と真生さんは顧みる。しかし、 その2つの顔に写真家・石川真生の真骨頂と魅力が 表れている。(沖縄王・西野浩史)

1953年生まれ。大宜味村出身
著書に『女性カメラマンがとらえた沖縄と自衛隊』、 『ヒューマンドキュメント 沖縄海上ヘリ基地--拒否と誘致に揺れる町』、『こ れが沖縄の米軍だ--基地の島に生きる人々』(いずれも高文研)などがある

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