太平洋上空で(2002年12月24日)
憂鬱な日がやってきた。“出張”で飛行機に乗らなければ
ならないのである。ビーンさんの見送りを受けて、
午後2時15分那覇発羽田ゆき日本エアシステムの552便に
乗り込んだ。機体はエアバスのA300−600Rである。
機は「ランウェイ36」を滑走し、離陸した。通常なら一気に高度を
かせぐのだが、米軍機が嘉手納基地に進入する空路を横切らなければ
ならないため、この空域を抜けるまでは
洋上で高度300メートル程度の低飛行を強いられる。
機の右窓から嘉手納基地と2本の滑走路がはっきり見えた。
その後少しずつ高度を上げ、数十分かけて水平飛行に
移った。最初の危険は脱した(と思ったのは私だけか?!)。本でも読もう。
かばんを探ったら『墜落!の瞬間 ボイス・レコーダーが語る真実』
(マルコム・マクファーソン編著、ソニー・マガジンズ)が出てきた。表紙は、翼から
炎をあげて墜落してゆく飛行機の写真(?)である。げげげげげげ〜。
何でこんな本を持ってきたんだ?!
一気に恐慌状態に陥った。「頼む。降ろしてくれ」と叫びそうに
なるのを必死に我慢する。私の恐怖心を解きほぐすかのように
機長が落ち着いた頼もしい声で機内放送した。低音の力強い声や
「お元気で、よいお年をお迎えください」という配慮ある言葉に、
私は少しだけ心に安定を取り戻した。
そこで本に戻った。<プロローグ>に、運航乗務員は<機内放送を通し、
落ち着いた頼もしい声で語りかけてくれる――たとえ非常事態の
最中で混乱していたとしても、そんなことはおくびにも出さず、
乗客を安心させる>とあるではないか。げげっ。そ、そうだったのか。
さっきの機内放送に疑いの目を向けてしまう。
本当に大丈夫なんだろうか。非常事態を隠しているのではないだろうか。
日本航空123便の墜落事故などの記録を読み進むにつれて、
本を持つ左手が小さく震え出した。止まらない。これはいかん。
読書を中断し、かわりに年賀状を書くことにした。ところが、
手のひらが汗びっしょりになり、万年筆を持つ右手が小刻みに震え出す。
ただでさえ下手な字なのに、判読しかねる字になってしまった。
何とか1枚だけ仕上げて、あとは機内音楽を聴くことにする。
「クラシックス&リラックス」の音楽を聴き続けたものの、
こんなのを聴くだけで「リラックス」できるなら世話はない。
事故は突然やってくるのだ。油断できるもんか。
緊張したまま2時間過ごした。やっとの思いで羽田に着いたら、
寒いの寒くないのって(どっちだ?)。早く沖縄に帰りたい。
おお脳(2002年12月21日)
太陽風オーケストラの生演奏を那覇市のD-SETという店で初めて聴いた。
和太鼓などの日本の音を洋楽に交ぜた演奏が特徴である。
音の大洪水に身を任せるのは心地よい。いつも言語を扱っている私は
左脳をもっぱら使っているはずである。音楽を聴くことで、
ふだん使っていない右脳を刺激したのかもしれない。
演奏を楽しみながら考えた。人間活動は脳が主役である。
私の脳は日本語を使った表現を出す
ことはできるけれど、音楽は全く出てこない。
脳には個人差があるのだなぁ。
店内をあらためて見てみると、
舞台にいる演奏家たちの脳から発信された音楽を、
客席のお客さんたちの脳が受信している、という構図が
浮かんできた。脳だけに焦点を当ててみると、演奏家の脳が生き生きと動いて音楽を出し、お客さんの脳がこれまた
生き生きと動いて音楽を受け止める、という光景を想像した。
太陽風オーケストラの音づくりには工夫がある。
例えば、冷暖房機の管を振り回して、空気を切るような高低のある
幻想的な音を生み出したりしている。これも、脳があみ出した“産物”である。
演奏を聴きながらさらに考えた。脳から発信した何かをその場で別の脳が受信する機会は
滅多にないのではないか。例えば、アイボ(ソニーのロボット)で見てみると、
ソニーの研究所で人が考えて(この段階が発信)、工場で製造し、
流通に乗って各地の店に届き、お客さんはそれを買って楽しむ(ここが受信)。
「発信する脳」と「受信する脳」がかなり離れている。
「発信する脳」と「受信する脳」が同じ時間に同じ場所にある緊密性が、
生演奏の醍醐味なのかもしれない。
生演奏を右脳で味わいながら、しっかり左脳が活動していたことに
今気づいた。
お店紹介の記事を考える(2002年12月15日)
沖縄王には「今週のお店」という欄があり、
いいと思える店を紹介してきた。「いい」かどうかの基準は
あいまいで、書き手の判断に委ねている。本当は味覚に自信のある人が
判断するのが一番いいのだが、これまでの沖縄王では、どちらかというと
「味」よりも「店の雰囲気」や「店主の姿勢」などに重点を置いてきた。
このこと自体は悪いことではない。しかし、飲食店なら「味」の良し悪しは
重要だと思う。
沖縄王でかつて紹介した「エメラルド」(北中城村)に行き、
「エメラルド特製ビーフステーキ」(1350円)を食べてみた。
肉はべらぼうに大きい。しかし、硬くてまずいと私は思った。
値段の安さを考えれば、こんなものなのだろう。しかし、
量は少なくていいから、うまい肉を食べたいと私は思う。
パサパサのまずい肉を山のように出されてもなぁ。
「いい店か否か」「うまいか否か」の判断基準を
私は「もう1回来たいか否か」「もう1回食べたいか否か」に置いている。
残念ながら、「エメラルド特製ビーフステーキ」は2度と
食べたくない。私は自分の舌に自信を持っていない。その舌が「まずい」と
判断するのだから、よほどのことなのだ。もう1回行くことがあったら、
別の料理を食べてみる。そのうえで店の良し悪しを判断しよう。
舌には個人差があるので、沖縄王で薦めた店であっても、
場合によっては別の評価が生じることがある。その場合は、
別の評価を掲載するしかない。これが読者への誠実な対応だと私は思う。
沖縄王内の記事で評価が分かれた場合は、読者が判断すればいいだけのことである。
『毎日新聞』の映画批評記事を読むと、1つの映画に対して複数の記者が
バラバラの評価をしていることがある。感性は個人差があるから、
多様な評価が出るのは当たり前なのである。この試みを参考にしたい。
寝巻き姿で出歩くな(2002年12月12日)
ガストや蔦屋に午後10時や11時ごろ、あるいは午前0時ごろに行くと、
就学前と思われる子供たちが親に連れられて来ていることがある。子供は
寝巻き姿だったりするので、私は計2回のけぞる。1回目は
その時間の遅さに、2回目は寝巻き姿に。
私がのけぞっても、親自身はのけぞらない。
なぜならば親が阿呆だからである。「自分の阿呆ぶりに気づかない」のは
阿呆ならではの資質である。だから、幼児を夜中に寝巻き姿のまま
連れ出したりできるのである。
今日付の『週刊レキオ』は「パジャドラ」という記事を掲載している。
パジャマ姿でドライブをしようという提案で、ご丁寧なことに
寝巻き姿の男女(男はスエットの上下、女はモロ寝巻き)の写真入りである。
阿呆な人は「ものごとを自分で判断できない」という資質に恵まれて
いるので、こういう阿呆な企画を真似する恐れがある。
私が見た限りでは沖縄にはただでさえ阿呆が目立つのに、
それを増殖させかねない記事だ。こういう提案をした『週刊レキオ』の担当者は
自分で「パジャドラ」とやらをやっているんだろうか。自分でできないことを
提案したとしたら無責任である。
話を戻そう。「バカは死ななきゃ治らない」と聞く。
これが本当なら、すくいようのない状況である。
補記。もしかして、沖縄は寝巻きを着て外出する文化があるのだろうか。
私が気づいていないだけ、ということがあるのではないだろうか。
ふとそういう疑問を抱いた。だとしたら私の指摘は的外れになるので
お詫びしないといけない。
なぜこんなことを考えたかというと、12月4日のこの欄で書いた「琉球“珍”報」を
読んだ友人が以下のような意見を送ってきたからである。
<ここまで間違うと、別の理由を考えてしまいます。
例えば、琉球人は、ヤマト人とは違うので、この辺の
日本語文法が理解できないのではないか、とか。
文法と言うより慣習なんですが。それが、ない、という
ことはないんでしょうか。ふと、そんなことを思いました>
目からウロコの指摘だった。だから、寝巻きで外出する文化が
あるのかもしれないと思ったのである。でも、いくらノンキで
デタラメな沖縄でも、そんな文化はないよねぇ?!
琉球“珍”報(2002年12月4日)
購読している『琉球新報』の今日付朝刊の、よりによって1面の、
しかも頭記事(その日最も重要な記事)に間違いを見つけてしまった。
<女性に暴行を加え乱暴しようと疑い>だって。寸づまりの文章に違和感を
覚えて読み直したところ、「した」の2文字が抜け落ちているのが分かった。
<乱暴しようとした疑い>が正しい。
新報ネタは食傷気味なのでもうやめたいのだけれど、
ネタを提供してくれるから笑ってあげないとね。東京から沖縄に移住した
落語家の下手糞な話よりはるかに笑える。
新報社の編集局次長や担当デスク、そして校閲部(あるんだっけか?)の
皆様は自分とこの新聞くらいきちんと読みましょう。
純粋な被害者か?(2002年11月30日)
八葉物流の“マルチ”詐欺事件の新聞報道を読むと、
首を傾げざるを得ない。今日付の『琉球新報』社会面の
連載「破たんしたマルチ革命」によると、
被害者のための弁護団事務局に<被害相談に訪れる人は、
将来に対する不安から出資を考えた人がほとんどだ>って。
う〜ん。本当に<将来に対する不安>だけか? こういう事例の場合、
被害者を善意の人と単純にみなしていいとは思えない。この話を
聞いた時に、被害者になった人たちは「濡れ手で粟」の夢を
少しは抱いたのではないか。出資金が増えると聞いて、少しは
胸ときめいたのではなかったか。いくら沖縄が横社会だからといって、
それでもって「友人に誘われたから出資した」などと釈明して
免罪符にしようというのは、非常に安易だし、
相変わらずのぬるま湯的県民性だとしか思えない。
お金がほしかったのでだまされたと率直に
告白すべきではないか。儲け話に目がくらんだことと
金銭欲に負けたことを自覚して猛烈に
恥じ入らない限り、同じ事件が繰り返されるだろう。
この手の話には私も私の年老いた両親も絶対に乗らない(引っかからない)自信が
あるので、あえて指摘しておきたい。
琉球舞踊館うどいサポーターの会(2002年11月25日)
静岡県清水市在住の岩本俊彦さんの呼びかけで、
玉城村にある琉球舞踊館うどいの「サポーターの会」を発足することになった。
私の場合、本土の友人たちが沖縄に来た時は
「ぜひうどいに行ってみて」と自信を持って薦めているので、
「サポーターの会」の呼びかけ人を誘われた際には「光栄です」と即答した。
ほかの呼びかけ人は、「にんじん食堂」の大道寺ちはるさんと
「てだこ亭」の飯塚未登利さん、未登利さんの父親でエッセイストの
ゆたかはじめさんの計5人で、ゆたかさんが会長を務める。
これから各自が応援者を集めてゆく。
応援者を県内外に増やしていくことによって、
口伝えでうどいを広めていくのが狙いだ。会費などは一切徴収しないので、
応援者を集めやすい。応援者はそれぞれが自発的に柔軟に
うどいのよさを伝えてゆく。県内の商業施設で支援者の会ができるのは
非常に珍しいと思う。
その第1回目の打ち合わせと顔合わせをした。会場のてだこ亭には
うどいの平良社長夫妻も駆けつけた。こういう出会いがあるのがうれしい。
しかし、喜んでばかりはいられない。私は来春には沖縄を引き上げざるを
得なくなる可能性が高いからである。どうなるにせよ、
最後の最後まで前向きに頑張るしかない。
『沖縄タイムス』のいじましさ(2002年11月19日)
今日付の『タイムス』に<「密約報道」元記者が講義>という見出しの
記事が掲載された。記事は共同通信の配信なので、『琉球新報』にも
ほぼ(←ここが重要)同じ記事が載っている。
『タイムス』にはこう載った。<一九七一年の沖縄返還協定をめぐる
日米間の密約を示す文書を入手し、外務省機密漏えい事件で有罪とされた
元新聞記者の西山太吉さん(七一)=北九州市=が十八日、福岡市の九州大で
講義した>
事前に『新報』で同じ記事を読んでいた私は、『タイムス』のこの記事に
笑ってしまった。なぜか? 『新報』でははっきりと<元毎日新聞記者の>と
記されているのに、『タイムス』は<毎日>をこっそり削っていたからである。
沖縄タイムス社は朝日新聞社と仲良しである。だから、朝日新聞社の競争紙の
名前を削ったわけである。いじましいというかいじらしいというかしらじらしいというか
ケツの穴が小さいというか、そこまで“親分”の朝日新聞社に
義理立てしないといけないのだろうか。
西山さんがどこの新聞社の記者だっかたというのは、情報の1つである。
わざわざ削るのは、読者に情報を伝えないことにつながる。情報産業である
新聞社にしてはお粗末な対応をした。<毎日>の2文字の削除を指示した
タイムス記者は自分のココロの狭さが悲しくなかっただろうか。
こんな狭い了見では「ジャーナリズム」だの「報道」だの「知る権利」だのと
大口を叩けなくなることを自覚しましょう。
お呼びでなかった『週刊金曜日』(2002年11月14日)
取材で佐渡島に滞在している弟から電話がかかってきた。
「曽我ひとみさんが帰国1ヵ月で記者会見する予定だったのに、
延期になった」と怒っている。原因は『週刊金曜日』だった。私は
この左系雑誌の創刊以降4年近く編集部員をしてきた(当時の経験は
『新潮45』2000年12月号で書いた)。
子供や伴侶を北朝鮮に残してきた当事者が「国家間の問題になった」という
ことでじっと我慢している微妙な時期に、ノコノコ出てきて、
自分たちの行為を「ジャーナリズム」の言葉でもって正当化しようとした。
同誌編集主幹の黒川宣之さんの開き直り会見をテレビで見て、
独善が依然として健在であることを私は確認できた。黒川さんが出てきたことで、
『週刊金曜日』の体質を多くの人に知られてしまった。これは同誌の
大失敗であるのだが、当人たちは気づくまい。
黒川さんが「ジャーナリズム」を持ち出せば持ち出すほど、一般の人の感覚は
「ジャーナリズムなら何をしてもいいのか」と、“ジャーナリズム”への疑問と反発を
募らせるだろう。いったい、何様なのか。
同誌編集委員を務める筑紫哲也さんが、自分の報道番組「ニュース23」で
自分が編集委員をしていることを明確に述べないまま同誌を「多事争論」で
擁護してしまったのは、ジャーナリストとしても
報道番組のキャスターとしても最悪の行為だと私は思う。
簡単に指摘すると、『週刊金曜日』は
植木等の「お呼びじゃない? こらまた失礼しました」を
学ばなければならない。
この場では書ききれないので、「大追跡」の欄であらためて展開しよう。
佐渡島のNHK取材陣(2002年11月12日)
取材で佐渡島に滞在している弟から電話がかかってきた。
「曽我ひとみさんが戸籍回復の手続きに役場を訪ねた程度の取材に、
NHKは総勢8人も来た」と怒っている。
「このご時世にNHKだけバブル経済が続いている。金銭感覚が
ない。受信料を払うもんか」と収まらない。「払うもんか」と叫ぶ
弟は、とっくの昔から払っていないのだが。
私が福島にいた頃に出会ったNHKの友人たちの顔が浮かぶ。
それとこれとは別だが、魅力的な記者が多かった。
つい先日、私の部屋にNHKの集金人さんが訪れた。
私の未払い歴は20年ほどに及ぶ。集金人さんに今度会ったら、
弟から聞いた話をしてあげようと思う。
『ぽちたま おきなわさんぽ』(2002年11月5日)
那覇市壺屋の「にんじん食堂」で『おきなわさんぽ』(500円)を
見つけたので買った。この本をつくった2人は沖縄王でかつて活躍
してくれた仲間である。
非常に恥ずかしいことに、私がこの本を初めて知ったのは
10月23日付『琉球新報』夕刊だった。「100店超を覆面取材」という
見出しとともに2人の写真入りで紹介されていたのである。
かつての仲間の活躍ぶりをよりによって新聞に抜かれてしまい、
私は軽いめまいを覚えた。ぐるぐる。
本を見ると、沖縄王で学んだことを生かしているのが分かる。
さすがである。誤字があったりする(例えば伊波敏男さんの著書名は『花に逢わん』
ではなく『花に逢はん』が正しい)のだが、この程度の誤字なら
『琉球新報』のほうが大先輩である(だから何なんだ)。
ぜひ続編を出してほしい。しかし、
新聞で顔をさらしてしまったから、厳格に覆面取材をするのは
難しいだろう。機転のきく経営者なら、記事を切り抜いて、2人の顔を
覚えるくらいのことはするからね。だからこそ『ミシュラン』の
審査員たちは名前も顔も未公開だし、日本では『じばらん』で知られる
さとなおさんたちは顔を出していないのである。というようなことを今さら
言っても遅いので、このさい新たな取材手法を編み出して
続編に挑戦してほしい。
話を戻そう。いい飲食店を知りたいなら『おきなわさんぽ』をぜひ。
読み物としてもなかなかの味を出している。
風格ある文章を(2002年11月3日)
「ボケナス」「“秋”ナス」などと記した1日付の日記に
対して、沖縄王内の仲間2人から「きつすぎる」と指摘を受けた。
確かに「それを言ってはおしまいよ」という場合がある。
極真空手はかつて畏怖の念を込めて「ケンカ空手」と呼ばれた。
世界で「最強の空手」という地位を築いたあと、
大山倍達・極真会館館長は「風格ある空手」を目指した
(と記憶している)。
かつて門下生だった私は、大山館長にしたがって「格調高い文章」を
目指そうと思う。できるのか? 私にも分からない。
眼科と薬屋とお金儲け(2002年11月2日)
眼がかゆくてたまらない。昨年もそうだった。昨年は
眼科に行き、アレルギー性
結膜炎と診断された。今年もそれにかかったようだ。本土で住んで入る時には
かかったことがないのに、なぜか沖縄でかかってしまう。そのかわりに、
本土で住んでいる時は悩まされる花粉症が、沖縄にはないので快適である。
昨年通った宜野湾市にある眼科は、窓口や検査係やわけのわからない係などで
院内に7〜8人もの女性職員がいた。この職員を養うためには、たくさん
稼がないといけないだろうなぁと危惧した通り、
2回にわたってあれこれ検査を受けさせられた。
勘弁してくれ。
というわけで、今年は浦添市にある別の眼科を訪ねてみた。
ところが、院内に一歩入った瞬間「こりゃだめだ」と思った。
職員が大勢いるのである。職員を養う義務は私にはないので、
すぐに出た。
どこかに医師1人でやっている昔ながらの眼科はないものか。
そんなことを考えながら、通りかかった薬屋に入ってみることにした。
症状を説明したところ、980円の点眼薬を薦められた。「花粉・ハウスダスト等による
目のアレルギー症状の緩和に」とある。さっそく購入し、
ドトール松尾店でさしてみた。効果抜群なのだ、これが。
980円で済んでしまった。わはは。眼科いらずである。
ただし、である。その薬屋では飛蚊症などにいいという飲み薬(3000円)を
販売していた。私の拙い知識によると、飛蚊症が出た場合は網膜はく離の
危険性があるからすぐに眼科に行ったほうがいいはずである。飲み薬を
飲んでいる場合ではない。
金儲けにはある程度の良識ってものがあるほうがいいと思う。
“秋”ナス(2002年11月1日)
「援助交際」と「不登校」を
結びつけたとんでもないチラシを県PTA連合会が配布したことを
10月27日付『琉球新報』の「紙面批評」と
28日付から30日付『沖縄王』の「大追跡」欄で紹介した。新報記者が
“取材”した記事が今日付の15面に出ている。
それによると、<県P連は「不登校の子どもたちの立場は
理解しており、もっと気を配るべきだった」と話している>そうで、
喜納兼功会長は<「夜遅くまで家に帰らない子どもたちが、事件に
巻き込まれることを指摘したかった」と釈明>したそうな。
どいつもこいつも“秋”ナスぞろいである。“秋”ナスその1は喜納会長さまね。
不登校の子どもは家の外に出られないんだぞ。“釈明”の中身がデタラメである。
不登校を全く知らないとしか思えない。
“秋”ナスその2とその3は新報の記者とデスクね。
デタラメきわまる“釈明”を追及しないまま載せやがって……。
救いようがない。記者としてやる気あるのか?
新報の編集権に口を出す立場に私はないけれど、この日の15面の頭記事は
高教組が実施した「週5日制」についての調査結果(いわゆる発表モノで、
中学生程度の頭があれば誰にでも書ける)で、実に
中身のない記事だった。チラシ問題は囲み記事で2番手扱いであるものの、
前述したようにボケボケである。ほんまにやる気あるのか?
県PTA連合会長失格、教育担当記者失格、教育面デスク失格である。
私はこのままでは済まさない。うふふ。
<追記>上記の原稿は最初「ボケナス」と書きました。しかし、友人から「(表現が)
少しきついのでは」という指摘を受け、私自身納得したので、少し反省して、
言い換えることにしました。「言い換え」の妙味とでも申しましょうか、本質をお見せ
することにします(笑い)。