変酋長日記 〜2002年7月〜10月までのバックナンバー〜
 

深夜の女子高生(2002年10月17日)
 ビーンさんの車で深夜の北谷町を“視察”した(と言っても スターバックスコーヒーで一服しただけ)帰り道のことである。 信号待ちをしていたら、目の前の横断歩道を女子高生が渡っているではないか。 外は大雨だ。「ビーンさん、女子高生が! びしょ濡れになるから、 乗せてあげよう」
 ビーンさんが車を回し、女子高生の横につける。「送ってあげるよ」と 声をかけると、一瞬の躊躇のあと、乗ってきた。声をかけた私の顔が よかったから安心したのだろう。
 「この雨の中どこまで行くの? 家まで送ってあげるよ」 「読谷です」「よっしゃぁ!」とナゼか気合が入るビーンさんと私である。
 彼女は高1で、中部商業高の付近から歩いて帰ろうとしていた というのだから、若いというか無謀というか……。私たちが拾ってあげた 場所から自宅まで、歩くと2〜3時間はかかる距離なのだ。
 車という密室だけに、不安感を抱かせないようにと思い、 私たちは馬鹿話で場を盛り上げようと奮闘した。送り終え、那覇方面に 向かいながら、「拾ってあげたのが善意の塊である我々で よかったよなぁ」とビーンさんと興奮気味に話し合った。
 道中、嘉手納ロータリー付近を雨に濡れながら走る 外国人男性の姿や北谷の歩道を全速力で走る日本人男性の姿を 目撃した。そのたびに、「乗せる?」「まさか!」。2人の意見は見事に 一致し続けた。

沖縄取材割引(2002年10月16日)
 日垣隆さんが始めた有料の電子通信(メルマガ)のお金を 宜野湾市の我如古郵便局から払い込んだ。
 年間70通以上で、購読料は1万円である。10月10日までに申し込めば 9000円になる。加えて、読者の経済事情などを考慮して、 割引してくれる場合がある。
 ということで、私は自分の“事情”を伝えたところ、「沖縄取材割引」という 名称で、格安ともいうべき価格になった。う〜ん、またまた太っ腹である。
 日垣氏の電子版自宅(ホームページ)「ガッキィーファイター」で著書を買ったことが 何度かある。申し込んだ教育関係の著書の在庫がなくなっていた時のことだ。 「残念ながら在庫がなくなりました」で済ませていいものを、 『教育の論点』(文藝春秋)という本(本体価格1381円)をわざわざ送ってくれた。 しかもその本代は日垣氏持ちだった。
 ここまで読者を大切にするのか! お返しというわけではないけれど、 日垣氏の有料電子通信を私は自信を持って(第三者の私が自信を持つってのは 変だけど)お薦めしたい。詳細は、> http://homepage2.nifty.com/higakitakashi/まで。

小倉寛太郎さん死す(2002年10月10日)
 小倉氏が9日に亡くなったことを読売新聞のホームページで知った。 『沈まぬ太陽』の主人公・恩地元の原型になった人物である。 新潮文庫になった時に初めて読み、小倉氏の体験の前では 自分の“大変さ”など屁のようなものでしかないと思った。
 私はその昔、“赤の巣窟”と一部で言われた『週刊金曜日』を出版する 会社で労組を仲間と立ち上げ、3代目の委員長をしたことがある。 当時の社長兼編集長の本多勝一さんとその盟友で編集長代理の 黒川宣之さん(元朝日新聞論説副主幹)に徹底的に嫌われ、 追い出し工作や嫌がらせを受け続けた私の“苦労” (『新潮45』2000年12月号で発表)など、 本当に屁のようなものに過ぎない。
 小倉氏とは比べものにならないけれど、 こういう経験は実は意外と人を育てる機会になるのではないかと 思うことがある(私って前向きでしょ?!)。
 それにしても小倉氏には1回会いたかった。著書『フィールドガイド・ アフリカ野生動物』(講談社ブルーバックス)に掲載された 小倉氏の顔写真をあらためて見る。合掌。

琉球新報社に校閲部を!(2002年9月30日)
 今日付『琉球新報』の19面を見た瞬間、「何かおかしいぞ」と思った。 よく見てみると、「音楽の話題」という記事に、 3センチ四方の空白があるのを見つけた。うふふ。
 記事を読んでみたところ、♪パンパカパ〜ン♪ <ボーカル、 ギター担当の松本素生=写真=の甘酸っぱい歌声が>の活字を見つけてしまった。 で、その<写真>とやらはどこにあるんだ? あぶり出しか?
 この面にはラジオや衛星放送の番組表が掲載されている。 このような紙面は数日前にあらかじめ作られる。したがって校閲は 余裕を持って確認できるわけ。にもかかわらず、である。
 ここに至って私はようやく気づいた。琉球新報社には校閲部が ないのだ。
 財団法人日本ABC協会の調査に基づく発行部数を公表していることを理由に 「ABC認証紙」と1面で胸を張っている新報社(競争紙『沖縄タイムス』はなぜか ABC協会に加入していない)に校閲部がないのはトンデモナイことである。 何せ「ABC認証紙」なのだからね。えっへん(私が威張る必要はないか)。
 というワケで、私はここに提案する。新報社は校閲部をつくるべきである。 初代部長は不肖ワタクシが引き受けようではないか(笑い)。

被害者?(2002年9月26日)
 今日付『琉球新報』社会面は<広がる児童買春>を特集した。 前文によると<少女たちは、大人の欲望の誘いに乗り、売春行為に及んでしまう> のだそうだ。そいつはかわいそうに。
 本文によると、<グループをつくってテレクラやツーショットダイヤルに関する 情報交換をはじめ、金払いのいい客を紹介し合っている>んだってよ。 さらに<男性が複数の場合はグループのメンバーに相手を指示するなど 組織的な形態を取ることもある>んだって。
 う〜む、こんな連中が<被害に遭った少女>と言えるのか? どうみても、 意図的で計画的である。<遊ぶ金欲しさから体を売る>女の子たちと “性欲処理のためにお金で体を買う”おっさんたち、どっちもどっちではないか。
 「体でお金を稼ぐ」ことが一般的にいいことかどうかを中学生になっているのに 判断できないとするなら、頭の中のどこかがイカレちまっている可能性が高い。 “いたいけ”な少女たち(ぷぷぷ)が罪に問われていないのは、 単に18歳未満だからである。実態は加害者と変わらない。

イヤな奴?(2002年9月21日)
 宜野湾市民図書館で『沖縄タイムス』縮刷版を2回にわたって 複写した。ここの図書館は、機械にお金を入れて自分で複写することになっている。 2回目の複写をしようとして申込書を係の人に渡したところ、 「ページを書いてください」と言われた。申込書には資料名、ページ、 枚数を記入する欄があるのだけれど、ページを記入する必要はないので 私は書いていなかったのである。
 そこで、図書館側の対応のチグハグさをやんわり指摘して あげることにする。「え? ついさっきも申込書を渡したけど、 ページは書かなかった。でも係の人からは何も言われなかったですよ」 「でも、ほかの人はこうして書いていますから」。係の人は 「ゼンリン 15ページ」と記された申込書を私に見せてくれる。 う〜ん、だからどうしたの? 「ほかの人」を持ち出して右に倣えと 促す“論法”は、「私は私」としか思っていないワタシには 通用しないって(笑い)。
 引き続きやんわり言うことにする。「この申込書は著作権法に基づくものですね。 ならば、複写するページまで申告せよと著作権法は定めていますか。 私は法律は守る人間ですので、もし、定められているのなら従います」。 係の人はほかの職員に聞いてから私のところに戻り、 「これでけっこうです」という趣旨の返事である。
 「いい勉強になってよかったね」と声をかけてあげようと思ったが、 やめておくことにした。相手は私を「イヤな奴」と思ったかもしれない。 でも、私から見れば、私を足止めした挙げ句、「不勉強で失礼しました」の ひとこともない係の人こそ「イヤな奴」なんだけどな。

 <追記>著作権法第31条は「図書館等における複製」を定めていて、 1人が1つのページを1枚複写する場合に限って認めている。 要するに、1つのページを2枚以上複写してはいけないということだ。 複写するページを申込書に記入させるのは、 こうした条件を守っているかどうかを 図書館職員が事前に確認するためらしい。 宜野湾市民図書館は31条に対する対応のいい加減さを ますます露呈してしまったものの、 百歩譲って私は書いてあげてもよかったかもしれない。
 しかし、である。申込書には31条に基づいて適当に記入しておいて、 その実、1つのページを3枚も5枚も複写したってバレることはない。 図書館が31条を厳格に守る気があるのなら、 複写後に職員が1枚1枚点検しなければならないはずである。実際に そこまで手間暇かけている図書館があるだろうか。 31条を本気で守るなら、国会図書館や東京・日比谷図書館のように 複写専門の職員に委ねる仕組みが一番いい。

それから(2002年9月20日)
 今日付の『琉球新報』夕刊社会面に<捜査車両に追突 男子大学生重傷>という 小さな記事が出ている。19日夜、西原町にあるマンションの2階の自室に戻った 女性が、侵入していた若い男にバッタリ……ということで、浦添署が 現地で捜査している間の出来事だった。
 <浦添署によると、捜査車両は同署員が捜査のため現場に駐車していた。 駐車の際、捜査に支障をきたさないように 特に点滅灯などはつけていなかったという>。「ここまで」は この通りではある。むふふ。でも、「それから」は 知られていないようなので、付け加えておこう。
 原付きバイクが捜査車両に追突したあと、捜査員は同車の 点滅灯をつけた――となる。
 さらに追突事故が起きないよう配慮した、のかな?
  

何が「衝撃的」なのか(2002年9月18日)
 小泉首相の北朝鮮訪問で金正日総書記が明かした拉致の実態を 新聞やテレビは「衝撃的」と言っている。確かに「衝撃的」ではある。
 拉致はないことになっている北朝鮮だから、 最後まで拉致を認めず、被害者全員の口封じ(殺害)をして闇に葬るだろうと 私は思っていた。それが、国の頭(かしら)が拉致を認めたばかりか、 生存者がいることまで明かした。かの国で数人とはいえ生存者がいたことが私には 「衝撃的」であった。
 一方、報道をよく見聞きすると、死亡者数が 多いことに対して「衝撃的」と 言っているようだ。私にはこれも“衝撃的”である。 北朝鮮をそこまで甘く見ていたのか? という意味において。

福島市のパイナップルハウス(2002年9月12日)
 福島市にある沖縄料理店「パイナップルハウス」の経営兼料理人・ 渡辺修さんが沖縄に来たので、那覇市壺屋の「にんじん食堂」で話し込んだ。
 福島駅前の商店街では飲食店同士の激しい価格競争が続いているという。 「お客さんが店を決める場合、沖縄料理店か居酒屋かという選択ではなく、 どの店が安いかが重要でね。価格を落とさないと、土俵に上げてもらえない。 50年も続いた中華料理店が店じまいしたほどなんだから」。沖縄の観光業界が 価格競争を強いられているのと同じ状況が本土でもあるのだ。
 渡辺さんは営業時間の延長や価格下げなどで生き抜いている。ここが 沖縄の観光業界と大きく違う点だ。渡辺さんは自分の知恵と努力で 必死にやっている。一方、沖縄の観光業界はすぐに行政に頼ろうとする。 飲食業と観光業の違いは重々承知の上だが、「姿勢の違い」を 感じざるを得ない。
 ところで、沖縄で“有名”な某料理店の味についての厳しい指摘を 渡辺さんから聞いた。「マツタケのインスタントスープの素を味付けに 使っていたりするんだから。どうしてここでこの味なのか、というのが 全く分からない料理だった。味の基本がなっていない」。私と違って 温厚な渡辺さんにしては珍しく率直な指摘だった。そういう店を 持ち上げているのは得てして本土の有名人だったりする。

歩行者天国の国際通りで(2002年9月7日)
 国際通りをフラフラ歩いていると、カメラの 肩掛けが目に入った。ニコン製の黄色い肩掛けで、 新聞社や出版社の記者やカメラマン用である。ふとその人の 顔を見て、「おお」と声が出た。
 私の『サンデー毎日』編集部時代の先輩記者である。声をかけると、 相手もびっくりしている。旅行に来ているのだそうだ。
 いつだったか、知り合いの読売新聞記者に 国際通りで偶然会った時に続く快挙である。実は気づかないだけで、 けっこういろんな人とすれ違っているに違いない。
 この日の国際通りは歩行者天国になっていた。しかし「トランジットバスが 通りますので、気をつけてください」という声とともに小型バスが 行き来している。気をつけるべきなのはアンタでしょ。ところで トランジットって何だ? トランジスターなら分かるのだが。
 国際通りを車両規制のうえ歩行者に開放して「トランジットマイル」と 言われても、私には意味が分からない。「トランジットバス」も同様に 意味不明である。「歩行者天国」や「無料送迎バス」と言えば 済むことなのに、なぜわざわざ英語を使うのか。どうせなら方言で表現すべきだった。 国や県、那覇市などで組織した実行委員会の全員が英米人なのかもしれない。
 オーマイゴッドである。

台風の楽しみ方(2002年9月4日)
 台風16号が沖縄を直撃している。午前中から沖縄市の コリンザで取材していたのだが、台風の影響で午後の取材予定が 2件とも延期となってしまった。この調子では明日の取材1件も 延期になってしまうに違いない。痛いなぁ。
 せっかくここまで来ているのだからと具志川ジャスコに足を伸ばし、 ドトールコーヒーで一服する。台風の動きが遅いのでしばらく外出できなくなることを 見越して、お湯で温めてすぐに食べられるカレーやスパゲティなどをジャスコで 買い込んだ。
 風雨が激しくなってきた夕方、原付きバイクで我が西原町を目指す。
 台風が来るとワクワクしてしまう。できることならずぶ濡れになって 暴風雨を味わいたいと思う。子供ならまだしも分別のある大人(私のことです)が そんなことをするわけにはいかない。ところが唯一、分別のある大人でも ずぶ濡れに近い形で台風を味わうことができる。そう、原付きバイクで走るのである。
 合羽を着ていても雨が染み込んでくるから、衣類は濡れる。 雨粒の大きさや風の強さ、風向きの変化などをたっぷり経験できる。風の音や 雨音も耳に入ってくる。五感で味わえるのだ。車では こんな経験はできない。「どうだすごいだろ、まいったか」と思いながら原付きを 走らせる(決してやせ我慢ではない、念のため)。
 幸か不幸か部屋に戻ったあとから風雨が非常に激しくなった。 アパートが揺れている。さすがにこの中を原付きで走る勇気はない。

並ぶなら1番で(2002年8月26日)
 本土から来た知り合いを連れて、那覇市の「首里そば」に 出かけた。午前11時半の開店前だというのに、観光客らしい 人たちを中心に20人くらいが店の周囲で開店を待っている。
 好機である。この人たちをかきわけて、私たちは店の玄関前に立った。 予想通り、私たちの後ろにたちまち列ができた。私たちは1番に店に入り、 1番に注文を受けてもらえた。待つことが非常に苦手な私には ちょうどよかった。
 それにしても、である。私が先頭に立ったら、慌てて私のあとに列を作る人たちを 何度か見たことがある。そのお陰で私は1番乗りできるのでありがたいのだが、 不思議だなぁと思ってしまう。1番に立つのが恥ずかしいのか? 私に言わせると、 あとから来た奴に先にやられることのほうが恥ずかしいし悔しい。

キレやすい私(2002年8月24日)
 ひめゆり平和祈念資料館に行ってみた。入場者が大勢いる。 そのぶん、大人に連れて来られた幼児も多いようで、 何やら騒がしい。よく見ると、 展示装置の上に3歳くらいのガキ2匹が乗って遊んでいる。
 こういうのを見ると、怒りが込み上げてくる。近寄って行って、 「おい、降りろ。何やっとんじゃ」と怒鳴りつけてしまった。 そのあと別のガキがのぼろうとし始めたので、肩をトントンと 突ついて、「おい、のぼるなよ」と再び怒鳴る。 私の剣幕に驚いた子供たちは慌てて その場から走り去った(そりゃ驚くわな)。
 子供が悪いのではない。子供に善悪をきっちり 叩き込まないバカ親が悪いのである。戦争と平和を学ぶのもいいけれど (学んでいるのか本当に?)、 手前の子供をきちんとしつけるのが先ではないか。
 戦争よりも、バカが拡大再生産されてゆくことのほうが 私には怖い。

南部を視察してみると……(2002年8月21日)
 ウンケーを記念して(ってこともないけれど)、 県立平和祈念資料館に行ってみた。 沖縄戦経験者の証言映像を見ることのできる装置の1つが 壊れている。御霊が帰ってくる日だというのに……。
 サンサンビーチに行くと、サザンオールスターズの音楽が 流れている。CD「海のYear!」を流しているのだった。 著作権を侵害しないよう、使用許可はとってあるよね?
 私にとってサザンの音楽は湘南の海の印象が強い。沖縄の海で聞くと 違和感がある。サンサンビーチ利用者への奉仕のつもりかもしれないが、 せっかくの沖縄の海を台なしにしていることに気づいたほうがいい。 波の音や風の音があるのだ。せっかくの風景を、なぜ脚色するのか。

犬死に(2002年8月15日)
 左巻きの『週刊金曜日』で編集者をしていた時、 戦没者を「犬死にだ」と決めつける特集を担当したことがある。
 戦争で亡くなった人を「犬死に」かどうか判断できるのは 当事者だけだという当たり前のことを私は分かっていなかった。 平和な時代に生きている人間が今の価値基準で判断できるわけがない ということも分かっていなかった。
 かつての自分を棚に上げるつもりはさらさらないけれど、 反省の上に立ってあえて書くと、これだから “正義”を自任する組織や人は質が悪い。 “正義”を自任した時点で、思考は止まるのだ。
 それにしても、キレイゴトを言う人の声はどうして 大きいのだろう。思考が止まっているからかな、やっぱり。

沖縄平和賞をもらった側の責任(2002年8月12日)
 沖縄平和賞とその受賞者であるペシャワール会について、 今日付『琉球新報』に沖縄大学長の新崎盛暉先生が書いている。 <贈った側の資格問う>の見出しで、<振興策と 引き換えに米軍基地を容認する>沖縄県がペシャワール会に 沖縄平和賞を贈ったことを取り上げ、県の姿勢を問うている。
 稲嶺知事はかつて県立平和祈念資料館の内容を勝手に 変えようとした人物である。その県政が平和賞を出すこと自体 ちゃんちゃらおかしい。でも、ペシャワール会を 選んだ点で、私は少しだけ県政を見直した。「沖縄」の枠から飛び出た、 とてもいい選考だと思う。
 もちろん、新崎先生の指摘は一面では正しい。原稿全体の流れは、 県への叱咤激励と読めなくもない。でも、 県の姿勢を言うのなら、平和行政への手腕に疑問符のつく 稲嶺県政から沖縄平和賞をもらっちまったペシャワール会の姿勢にも言及 したほうがいい。
 実は、新崎先生も運営委員をしている「沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会」は、 県から受賞対象の打診を内々に受けた。検討の末、資料館問題などを起こした 稲嶺県政からもらうわけにはいかないということで断った。 貧乏所帯の1フィート運動の会にしてみれば、副賞の1000万円は 欲しかったに違いない。でも、断った。 それなりの筋を通したわけだ。その点では見事だと思う。もっとも、 今の1フィート運動の会は運動を停滞させているので、 もらう資格は全くないと私は考えているが。
 翻ってペシャワール会である。沖縄県の“平和行政”の中身を全く知らずに もらっちまったのか?
 新崎先生はこう書いた。<ペシャワール会に賞を贈った側は、 ペシャワール会に耳を傾ける姿勢を持っているだろうか。実は ペシャワール会への賞の贈呈は、贈った側にその資格があるのかを問い続ける ことになるのだ>。これを受けて、私は次のように言いたい。
 「沖縄県から賞をもらった側は、 沖縄県(がやってきた平和行政の実態)に耳を傾ける姿勢を持っているだろうか。 実は沖縄県からの賞の贈呈は、もらった側にその資格があるのかを 問い続けることになるのだ」と。
 新崎先生には先日昼飯をご馳走になったし(私は恩義に弱い)、 著書はたくさん買って読んでいる。でもなぁ……。
 

新聞社に「言論の自由」はある?(2002年8月10日)
 1ヵ月遅れで『毎日新聞』を沖縄で読んでいる。今日読んだのは7月9日付の 同紙だ。「記者の目」は東京女子医大病院事件を取り上げている。 医局の主任教授が絶対的な権限を持っているので、部下である医師は 服従に似た姿勢をとる――と指摘していた。
 これを読んで、ある全国紙のある部の話を思い出した。 その部長は思いつきでいろいろ口出しするので、記者の士気に 悪影響を及ぼしているという話である。デスク以下、陰で 部長の悪口を言っている。
 東京女子医大病院の構図と似ている。ただ、根が深いという点では、 新聞社のほうが深刻だ。“言論”を扱い、紙面であれこれ主張しているのに、 社内では上司に対して何も言えないのだから。かつて『週刊金曜日』を 出版する会社で勤務していたころ、本多勝一社長兼編集長らの 理不尽な言動に対して真正面から戦ってきた私からすると、 この新聞社のこの部のデスク以下全員がトホホ野郎と ヒラメ野郎に見える。それでもキンタマついとんのか?(お下劣失礼)
 文句があるなら、直接言えばよい。それで異動させられてもいいではないか。 命までとられることはあるまい。「言論の自由」を 死守しなければならない新聞記者(そう思うからこそ、マスコミ規制法反対で 頑張ったんでしょ)が、自分の出世への影響を考えて自らの言論を封じているのは あまりに情けなく、こっけいである。けっこうなことである。
 今後、この記者さんたちは「言論の自由」などと口に出さないでね。

続・無農薬は体にいい?(2002年8月4日)
 前回のこの日記を読んだ沖縄王マスター(技術面を 一手に引き受けてくれている)がメールを寄越した。
 加藤氏の早すぎる死について、 <無農薬農法をやりつつ、PCB入りの魚を食べていたのかも知れません。 あるいは、焼酎を毎日1瓶飲んでいたのかも。 死因は肺炎だそうなので、タバコの吸い過ぎかも知れないし> <同じように、禁煙したから長生きするというわけでもないし。 サプリメントを飲んでいたら栄養状態はいいかというと、 多分違うと思うし。ストレスが原因で病気になる人だっているわけで。 禁煙してサプリメント飲むほど健康に神経質になるストレスで 寿命を縮める人はいそうですわな>
 私が書き落とした部分を的確に補ってくれている。
 全くもってこの通りで、結局何が「健康」にいいか、そう簡単には 分からないということだ。そもそも、動かしがたい「個体差」が 厳然とあると私は思う。
 最近テレビで紹介されたお陰で「もろみ酢」が人気を集めた。 「体にいい」あるいは「元気が出た」 「朝の目覚めがよくなった」と聞き、試しに1ヵ月ほど“人体実験”して みた。私の場合、「元気」にも「目覚め」にも 影響はなかった。もしかしたら体内で乳酸を減らしてくれていた のかもしれない。だが、実感できるほどの具体的な効果はなかった。 私はもう飲まない。
 健康オタクは情報に振り回されやすいし、しゃかりきに なりやすい。極端で神経質な傾向があると思う。これではかえって 胃腸をやられて早死にするかもしれない。
 結局は「個体差」に従うしかないから、好きなものを飲食してやるぞと 私は思っている。こう思うのは、トシのせいか諦念か開き直りか、 それとも単に食い意地が張っているだけなのか……。

無農薬は体にいい?(2002年8月1日)
 有機無農薬の農作物と聞くと、 体によさそうな気がしていたことがある。 こういう食品を食べ続ければ、体にきっといいのだろうと 思っていたことがある。
 でも、本当だろうか。誰か証明しているのだろうか。
 この私の疑問を吹き飛ばす訃報が今日付『琉球新報』に 出ている。歌手の加藤登紀子さんの夫・加藤敏夫さんが 亡くなったという訃報である。「自然農法家」で「有機 無農薬栽培の組織づくりに取り組」んだ人が、58歳の若さで 亡くなったわけだ。
 同じ製造会社のカメラであっても、 壊れやすいのとそうでないのとがある。 これは車や電気製品でも言える。この「個体差」は 人体にもあてはまるのではないか。無農薬の食物で “解決”できる問題ではないという当たり前のことを、 加藤氏の早すぎる死は語っている。
 無農薬がいくら「体によい」と言われても、 若くして死んでしまう人がいるのを見ると、 無農薬の「何」が「どのよう」にいいのか私には分からない。

「いい映画」の基準(2002年7月30日)
 新著『沖縄ソウル』を出した写真家の石川真生さんを、佐敷町の喫茶店 「風の里」で取材した。映画「ナビィの恋」に感動したと言う。 私は全く感動しなかった。映画の評価には個人差があると あらためて思った。
 『サンデー毎日』編集部にいたころ、映画評論家の淀川長治さんがご存命で、 取材にうかがったことがある。ふたことみことの会話のあと、 「あんた、映画を全然見てないわね」と見抜かれた。 架空の世界である映画を100本見るより、 自分の1つの経験のほうが得るものは大きいと思っていたから、 実際ほとんど見ていなかった。
 その後いろんな人から「これはいい映画だ」と 薦められたり実際に映画をあれこれ見たりしてきて、 「いい映画」の基準に最近思い至った。映画のどこかに 「身につまされる」ものがあれば、心をわしづかみにされて 共感や反発とともに「いい映画」だと感じる、ということだ。 ということは、「いい映画」を通してその人の内面を少しだが 垣間見ることになる可能性がある。
 私にとっての「いい映画」は「月光の夏」と「素晴らしき哉、人生」である。 しかし、持論に従えば、いま挙げた映画の題名に私の感性つまり 個人情報が含まれているわけだから、 そのうちに個人個人が感じる「いい映画」は極秘扱いされる時代が来る かもしれない(この部分は冗談だからね。念のため)。

笑える理由(2002年7月21日)
 「第14回ピース・ラブ・マチグァー&壺屋まつり」を見ようと 市場周辺を歩く。ジョニー宜野湾さんが歌っているのに出くわした。
 気さくな即興の語りは観客の笑いを誘う。歌う時は真面目な顔になる。 その真面目な顔を真正面から見て、私は驚いた。そして、笑いそうになった。 似ているのだ。毎日新聞編集委員の岸井成格さんに。
 「確かに似ているねー」という驚きと笑いを大勢の人と 共有したいのだが、両方の顔が分かる人は少ないかもしれない。 せっかく笑える機会なのに、知らない人が多いのはちょっともったいない。 岸井氏はたまにRBCの「ニュース23」に出演するから、 この番組で顔を見てほしい。
 ところで、なぜ笑えるのか。理由は恐らく 「組み合わせの意外性」にある。

「読者への返事」を再び考える(2002年7月17日)
 沖縄に移住したいのだがという相談メールに対して、下記のように 返事をした。
 <沖縄移住の相談をたまに受けますが、 私の答えは簡単です。「本人次第」。 石橋を叩いて渡る人は、死んでも沖縄移住を しません。でも、移住する人は、放っておいても 沖縄に引っ越して来ます。そういう人は、 考えずに行動します。そんなものです。 私は前者でした。○○さんご夫妻はどちらの タイプか、自己分析すれば、「結果」はすぐに 見えますよ>
 相談相手にケンカを売っているのではない。根拠はある。
 本土から沖縄に移住してきた計7人を、1年かけて私は取材した。 その過程で明確に見えたのが、どんなことにせよ、 行動するかどうかは「本人次第」というごく当たり前のことだった。
 私自身、沖縄への引っ越しを2回実施している。何も難しくない。 ただし、「住まいはどうしよう」「仕事はどうしよう」などと事前に あれこれ考え、石橋を叩いて渡る傾向の強い人は、 沖縄移住をあきらめて、死ぬまで家の中でじっとしていたほうが いいと思う。人には向き不向きがある。

「読者への返事」を考える(2002年7月17日)
   「遊ぶ」欄でかつて取り上げたコマカ島の記事を読んだ読者から、 ここでで釣りができるかどうかを問い合わせるメールが来た。 しばらく考えたあと、私は以下のような返事を送った。
 <コマカ島で釣りをできるかどうかですが、 できるとは思うのですが、調べてみないと 正確なことが分かりません。
 今後のために応用の利く「自分で調べる習慣」を お持ちになるのが大切かと思いますので、 調べ方をお話しします。私ならこう調べるという ものですから、難しいものではありません。簡単です。
 1 、コマカ島の記事に出ているレジャーセンターに電話する(電話番号は記事に 載っている)
 2 、知念村と記事にありますから、ここの役場に電話する(電話番号は144で 聞く)
 3 、役場に電話しても分からない場合は、「ではどこに聞けば 分かりますか」と役場に質問する
 4、それでも分からない場合は、「たぶん大丈夫だろう」と 自分で判断してしまう
 お問い合わせに対して「自分で調べてください」と お返事するのは少し勇気のいることなのですが、 でも、たぶんこのほうが長い目で見るといいことだと 確信しています。
 楽しい沖縄旅行を!>
 少し厳しかったかなと思う反面、高い応用性のあるワザを 伝えたとも思う。そして自信を持って私が唯一言えるのは、 沖縄に関するたくさんのサイトがある中でこのような 返事を出すのは私くらいだろうということだ。
 決してケンカを売っているのではない。

お笑い『琉球新報』(2002年7月6日)
 今日付『琉球新報』30面の記事「東松照明写真展が開幕」を 読んで、さすがの私(ってどんな私だ?)も笑ってしまった。
 <東松氏は一九一六〇年代後半から沖縄の撮影を始め、七二年から 約二年間、沖縄で暮らして>の部分である。一九一六〇年って あなた、今から1万7158年後でしょ。
 ちなみに歴史を遡れば、約2万年前はマンモスがいた地質時代よん。 山田花子でさえここまでのボケはかまさない。
 「ABC認証紙」と胸を張る琉球新報社の社会部デスクと編集局次長、 校閲部員、この記事を書いた記者に座布団100枚あげる!

キロロ(2002年7月4日)
 今日付の『琉球新報』夕刊の「南風」という欄に、 音楽評論家を名乗る青木誠さんという人が「KIRORO」と書いている。 何だろうと一瞬考えてしまった。 「kiroro」や「キロロ」なら普段見慣れているから分かるけれど、 「KIRORO」と表記されると分からなくなる。 私の頭の中身の問題だろうか?
 私が調べた限りでは、「KIRORO」と表記したものはない。 青木氏が間違った可能性がある。でも、音楽評論で飯を食っている人が、 よりによって演奏家の名前を間違うだろうか。
 加えて、地元出身の演奏家の表記の間違いを、 『新報』校閲部が気づかないはずがないと思いたいのだが……。


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