変酋長日記 〜2002年5月〜6月までのバックナンバー〜
 

上洲屋(2002年6月30日)
 具志川市民芸術劇場で開かれた琉大フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会を聴きに行くことにした。初めて行く場所の場合、現地に早めに着いて、その周囲を見て回るのがけっこう楽しい。
 ちょうどお昼どきなので、うまそうな料理を出す大衆食堂はないものかと、原付きバイクで走ってみた。上洲屋という食堂を見つけた。具志川市役所の近くにある。
 てびちそばを注文した。うまい。「また来よう」と客に思わせる店はいい店である―という持論にぴったりあてはまる。私の住む西原町から原付きで1時間近くかかるけれど、また来るに違いない。
 琉大フィルハーモニーのおかげで、上洲屋に巡り会えた。感謝したい。

北海道でのネーネーズ公演と沖縄「観光大使」の資格(2002年6月27日)
 北海道上磯町の山下秀樹さんから郵便が届いた。22日に同町で開かれたネーネーズ公演を報告してくれたのだ。
 昨年12月に沖縄を旅行した山下さんは、閑散とした空港ロビーを見て、テロの影響を感じ取った。函館市で沖縄料理店「琉球」を経営する友人と「何か応援できないだろうか」と話し合った。
 「北海道も観光は大きな産業です。有珠山の噴火で北海道観光が窮地に追い込まれた時に、沖縄が応援してくれたという情報も聞いたことがあります」(山下さんの手紙から)
 きっかけはその店で働く女性のひとことだった。「私、ネーネーズのメンバーと幼なじみなんですよ」。山下さんたちは「ネーネーズを呼ぼう」と立ち上がる。
 何度か壁に当たった。あきらめなかった。実行委員会を組織し、同町の協力を取り付け、沖縄への打ち合わせなどは自費で賄い、広報にも努め、券を完売した。何から何まで手弁当である。こうして、公演には1000人もの観客が集まった。公演の前後3日間は、沖縄物産展も開かれた。
 山下さんのような“好意”を寄せてくれる人がいる沖縄は本当に幸せものである。
 沖縄県は「観光大使」を定めるようだ。その中に本来入るべきなのは、沖縄に「自腹」を切って行動してくれる山下さんのような人ではないか。山下さんのように本土で沖縄のために行動している人はほかにもいるに違いない。会社の辞令に従って異動して来た転勤族や「おねだり日銀マン」沼波正さんのような人に「観光大使」の資格はない。本土企業の沖縄支店長辺りを選ぶという基準自体がそもそも安易である。
 山下さんの話に戻ろう。ネーネーズは最後の曲を歌う前に「北海道に呼んでもらってありがとう」と涙で声を詰まらせた。山下さんは嫌なことやつらかったことが「吹き飛びました」と記す。
 「嫌なこと」とは、沖縄県の観光当局の言動である。この欄か「大追跡」であらためて書く。

慰霊の日(2002年6月23日)
 午前10時、南風原町に住む義父と義兄と一緒に魂魄の塔に行き、合掌する。それから「平和の礎」で祈ろうとしたのだが、式典のため一般客は入れない時間帯だ。ガラビ壕などを回って時間をつぶし、ようやく礎に着いた時には午後2時半になっていた。義父の親きょうだい計5人の名前が刻まれている。
 南風原に戻って“解散”し、今度は1人で再び礎に行く。
 礎の前に座り込んでじっと見つめている人がいる。刻まれた名前の部分に泡盛やビールをかける人がいる。涙を流している人がいる。膝立ちして、両手を合わせて祈る人がいる。刻まれた名前を指差しながら、おじいさんが孫娘に何かを語っている。清明祭のように、礎の前で弁当を広げて食べている集団がいる。車椅子に乗ってきた高齢者がいる。刻まれた名前を指でなぞる人がいる。
 私には戦争経験がない。これでも想像力は豊富だと自負しているが、想像力に限界があることを知っている。
 さまざまな祈りの光景を見たりその場の空気を感じたりすることで、沖縄に対する私の「軸」(私のはブレやすいんだなぁ)が少しは軌道修正できると思いたい。それでも、沖縄戦経験者の思いには届かない。でも、そうするしかない。
 

新報ネタ(2002年6月21日)
 21日午前2時ごろ、宜野湾市内でタコスを食べながら、ビーンさんにこう言われた。「変酋長日記で琉球新報の批判が続いているように見えるけど」。そう見えるのなら釈明しておく必要がある。
 お金を払って沖縄で定期購読している新聞は『琉球新報』だけである。理由は2つある。畏友が新報の記者をしているからであり、私の義姉が南風原町内で新報の販売店をしているからである。
 『新報』に愛着があるから金を払って読んでいるのだ。『沖縄タイムス』は読む機会がないので、批評の対象になっていないだけだ。
 悲しい(実は面白い)ことに、今日も『新報』ネタを書かねばならない。同日午後2時ごろ、沖縄大の前にある「ヒロ」という店で味噌ラーメンを食べながら『新報』を読んでいて、げげげと思う間違いを見つけた。
 34面(対社面)下の小さな記事にこうある。<鉄血勤皇隊として戦場に動員された県立一中(現・首里高校)の第58期卒業生の(ここで3人の名前=省略)が18日、琉球新報者を訪れた(以下略)>
 よりによって自分の会社名を新聞社が間違うとは。もしかすると前代未聞ではないか。余計なお世話だが、校閲部はあるのか?
 こんな間違いをする新聞社があるのだから、今話題の「やまりん」を「やりまん」と間違って載せてしまう新聞社だってどこかにあるかもしれないと期待してしまった。私は新聞を見るたびにどういうわけか「やりまん」と誤読してしまい、そのたびにドキドキしている。

これは盗用です(2002年6月15日)
 6月1日付『琉球新報』25面の「落ち穂」欄に、フリーターを名乗る西條正美さんという人がこんな文章を書いた。
 <ある物理学者の話によれば、三脈といって手首の脈拍と頚動脈の脈拍が同時に打っていれば、二十四時間以内は自分の周りに異変はないが、もしこの脈拍に狂いがあれば、異変が起こる可能性が高いことから、注意しなければならないという。
 最近よくある飛行機の墜落事故なども、未然に防げるかもしれない。航空券を買ったら脈拍を調べて、乱れが出ればキャンセルをして他の便に変えることができる。これをもう少し応用すれば、航空券購入時の全客の三脈を調べ、大多数の脈に乱れが出た場合、その飛行機を徹底的に点検するか、場合によってはその飛行機を飛ばさないようにし、パイロットを変更するなどして、客の脈の乱れが正常になるまで行えば、事故防止につながるかもしれない(以下略)>
 滅茶苦茶な内容である。私が担当デスクなら、没にするか全面的に書き直してもらう。と同時に、「ある物理学者」がいったいどんな脈絡でそんな主張をしているのか確認する。でなければ、怖くて掲載できない。
 私は14日、新報の文化部に<「ある物理学者」の名前と肩書き(大学名など)と、この脈拍の話の出典を教えていただきたい>とファクスを送った。筆者の西條さんからその返事のファクスが今日届いた。
 送られてきたのは、『人類を救うヒット商品開発法』(政木和三・東洋経済新報社)からの引用なので「ある物理学者」の名前は分からない。政木氏に直接聞いてほしいという趣旨の手紙と、その本の161ページのコピーだ。“出典”のつもりらしい。そこにはこう書かれている。
 <ある物理学者の話によれば、三脈といって、手首の脈搏と頚動脈の脈搏が同時であれば、それから二四時間以内は、自分の一身上には変化はないが、もしもこの脈搏の時間に狂いがあるときは、変事が起きる前兆であるから注意しなくてはならないという。
 たとえば、航空券を買ってから三脈を調べ、もし不調であればキャンセルすべきである(以下略)>
 何じゃこりゃ〜(松田優作風)。そのまんまではないか。いくら「ある物理学者」の持論の紹介であっても、飛行機の話につなげるところまで全く同じである。しかも、自分で「ある物理学者」の根拠を調べずに、そのまま丸写ししている。せめて本の題名を挙げて引用であることを明示すべきだった
 西條氏はこれが「盗用」に当たるとは思っていないのだろう。でなければ本の該当部分を私に送れるはずがない。そういう意味では200%善意の人である。しかし、文章を書くイロハを知らないドドドドド素人でもある。
 新報の文化部はどうするんだろう。この文章に疑問を抱いた社員は一人もいなかったのかな?

糸満ハ―レー(2002年6月14日)
 「那覇ハーリーよりずっと面白い」とビーンさんに言われていたので、糸満ハーレーを見に行った。何時に始まるのか分からず、沖縄のことだから午後から始まるに違いないと見当をつけて行ったら、もう終わりかけていた。
 13日付『琉球新報』には糸満ハーレーの広告が掲載されていた。13、14日の特設舞台の時間割と13日のハーレー行事の時間割は出ているのに、肝心の14日のハーレー行事はその順番こそ出ているものの時間が記されていないのが原因だ(と自分が情報収集しなかったことを棚に上げる)。
 それでも、舟をわざと転覆させるクンヌカセーは1回だけ見ることができた。最後のアガイスーブでは、私の近くにいた70歳くらいの男性たちが声援や指笛を送っていた。男性が沖縄方言で「ゆっくり行け」などと“声援”を送る。周囲では笑いが起きる。
 私の左隣にいた、男性の奥さんらしいおばあさんは、そのたびに私を見上げて笑い顔を見せてくれる。その気配を察するたびに私はおばあさんを見下ろす形で笑い顔を見せる。ちょうどお互いに顔を見合わせて笑っている感じである。方言が分からない時は笑いようがないのだが、おばあさんが人懐っこい笑顔を寄越してくれるものだから、笑わないわけにはいかない。
 それにしてもいい笑顔だったなぁ。笑顔のおすそ分けとでも言えばいいだろうか、「あんたも面白いでしょう?」という感じで、笑顔で私を見上げてくれるのだ。私は本土出身と分かる顔なので、気を使ってくれたのかもしれない。
 糸満ハーレーはあのおばあさんの笑顔とともに記憶に残るだろう。

琉球新報社の読者相談室はサービスを知らない(2002年6月13日)
 『琉球新報』文化面に外部筆者が書いた原稿を読んで、私の「勘」が働いたので、問い合わせることにした。同紙には「読者相談室から」という欄が時々掲載され、電話番号が記されている。この欄の性格付けが不明確で、ほとんど投書欄状態(電話で語ったことを担当者が文字にしてくれるのだから、投書に比べると非常に楽ちんだ)になっていることなどは笑い話としてここでは措くことにして、私はある種の“期待”を込めて「試し」に読者相談室に電話した。
 担当者は忙しいのか、留守電になっている。私は名乗り、「いついつ掲載のこの記事のこの部分の詳細を知りたい」と丁重に伝え、私の電話兼ファクス番号も吹き込んでおいた。
 数時間不在にしたその間に、私の留守電に担当者から伝言が入っていた。素早い対応である。しかし、「文化部に聞いてください。電話番号は……」という返事だった。
 残念ながら、私の“期待”通りの返事である。この欄の担当者が琉球新報社の社員であるならば、私の問い合わせを同じ社内の文化部に伝言する程度のことは簡単にできるはずである。しかし、その簡単な作業を嫌がった。お粗末としか言いようがない。担当者の意識も読者の扱いも「お粗末」のひとことに尽きる。
 冒頭に記した私の「勘」はトンデモナイことを見つけてしまう。これはあらためて書く。乞うご期待。って誰も期待していないか。

誕生日おめでとう!(2002年6月9日)
 誕生日おめでとう。130万県民を勝手に代表して、お祝い申し上げます。
 いつかどこかで運命の出会いをしたいなぁ。ね、国仲涼子ちゃん。

残念(2002年6月7日)
 読売新聞のホームページを見て驚いた。仕事でお世話になった人が書類送検されたと出ていたからだ。
 1989年に毎日新聞福島支局の1年生記者だった際に受け持った福島署の刑事だった人である。イタリア人マフィアのような容貌(と言っても私は本物の「イタリア人マフィア」を見たことはない)で、笑うと怖かった。でも、案外人のいい刑事さんだったことは知っている。
 別の警察署で署長になっていた99年、顔見知りから依頼されて交通違反をもみ消したというのだ。県警は停職3ヶ月の処分を6日に出し、元署長は同日辞職した。
 もみ消しを頼まれて断り切れなかったところに、その“イタリア人マフィア”の気風のよさを感じ……てはいけないのだろうけれど、残念だ。

心意気を感じさせる喫茶店(2002年6月6日)
 知念村の斎場御嶽を見学したあと、その手前にある「珈琲喫茶 休庭」(ゆくいなぁ)に寄ってみた。高台にあり、素晴らしい展望を眺めることができる。店の位置と景色に「おおお〜」と声が出た。イスや机が手作りなのもいい。
 「今週のお店」で紹介したいと思い、店主の平山一昭さんに取材を申し込んだ。あっさり断られた。「穴場でありたいので。実際、『カフェ100』そのほかの媒体からの取材依頼も全部断ってきました」。でも、商売上は広く知られたほうがいいでしょう? 「いえ、お金は別の方法で稼ぎます」
 ここまで心意気のある喫茶店があったとは。戦略的であるとはいえ、こういう姿勢を貫こうとする人を私は嫌いではない。
 でも、取材できないのは残念だ。そこで、ない知恵を絞り、この欄に書くことにした。コーヒー類が350円から550円である。屋根も壁もない“青空喫茶”なので、雨天の時は休業状態になる。好天ならお薦めだ。
 同じ村内にある展望のいい某店はかつて「取材に応じない」と言っていたそうだ。それがいつの間にかいろんな媒体に出るわ出るわ……。「あのよう(な無節操)にはなりたくない」と平山さんは言う。
 典型的な無節操人間の私は、耳が痛かった。

“ブランド”に弱い私(2002年6月4日)
 冨士写真フィルムの製品に「リアラ」というネガフィルムがある。色の再現度がいいので、1989年2月の発売以来ずっと使ってきた。96年2月に「リアラACE」と新しくなっても使ってきた。
 写真屋に出す時は「リアラ仕上げ」を指定してきた。「リアラ」は普通の写真屋ではうまく現像できないので、冨士フィルムの現像所に送られるという話だった。実際、89年の発売当時、那覇市内の写真屋で「ここでは現像できないので、本土に送ります」と言われた。
 戻ってきたネガには「リアラ仕上げ」というシールがいつも張られている。疑う余地はなかった。
 ところが、である。ある写真屋で「もうリアラ仕上げはないんだよ。写真の出来上がりにホントに違いがある?」と聞かれた。まさか。東京の冨士写真フィルムに電話して聞くことにした。
 結論は、その「まさか」だった。「リアラACE」が登場して以降、「リアラ仕上げ」は実質なくなったというのだ。「でも未だにシールが張られていますが」「リアラにこだわるお客さまがいらっしゃるもので」「つまり、ブランドみたいなものですか」「そういうことになります」
 慌てて同社のホームページを見る。「リアラACE」の説明文に<ミニラボ店様でもその高性能を最大限に引き出すことが可能となりました>とある。何と!
 私は“違いの分からない男”なのだった。

沖縄県に“貢献”した私(2002年5月31日)
 日射病の患者数を調べる必要があり、県健康増進課に問い合わせた。「定点医療機関からの日射病患者調査」(1985年度から2001年度)をファクスしてもらった。
 私の予想に反して、「県民」655人、県外の人を意味する「その他」424人という数字である。割合にすると「県民」61%、「その他」39%だから、かなりの差があることになる。
 そーか、県民が日射病にねぇ……。釈然としない。念のために年度ごとに並ぶ「県民」の数字を足し算してみた。何度足し算しても、655人ではなく354人にしかならない。ん?
 というわけで、資料を送ってくれたお礼として同課に電話して伝えた。沖縄県の公的資料が正しくなったのは、何を隠そう私のお陰である。

素っ裸?(2002年5月29日)
 4歳児の舞台を見て、知名定男さんが感想を述べた。「一糸まとわぬ踊りで」
 5月4日に実施された那覇ハーリーの会場での「定男と唄マーイ」という公開録画を、沖縄テレビの「郷土劇場」で今日放送していた。その中での発言だ。
 整然とした様子を言うなら「一糸乱れず」である。知名さんはそう言いたかったはずだ。ちなみに「一糸もまとわず」は素っ裸という意味だ。“4歳児の素っ裸”は作家ナボコフの世界になってしまう。
 本来なら編集作業の段階で切り捨てるべき発言である。気づかなかったんだろうか、沖縄テレビの担当者は?

記事に間違いがありました。ごめんなさい(2002年5月23日)
 「ありんくりん」のバックナンバーにある「沖縄の米軍基地で働く方法」の記事に誤りがあることが、独立行政法人駐留軍等労働者労務管理機構の指摘で分かりました。同機構およびこの記事を信用して問い合わせた方々には大変ご迷惑をおかけしました。本当にごめんなさい。
 深くお詫び申し上げますとともに、該当部分を修正しました。正誤は下記の通りです。

5.応募受付期間
定期募集 2002年5月1日〜5月31日
追加募集 2002年11月1日〜11月29日(定期募集期間中に応募した者に限る)

 上記のカッコの中の「応募したものに限る」は間違いで、正しくは「応募していない者に限る」になります。

ブセナでコーヒーを味わう(2002年5月21日)
 名護市内で16歳の女の子を取材しての帰り道、ザ・ブセナテラスビーチリゾートに初めて寄ってみた。ラウンジでコーヒーを試飲するためだ。
 ブレンドコーヒーは、ポットに2杯少々の量が入って550円だ。コーヒー用にミルクだけでなくクリームも運ばれてきた。窓から見える景色も勘案すると、なかなか値ごろ感のある価格設定だ。
 コーヒーを飲みながら、100枚分ほどの原稿を推敲する。至福のひとときである。私の場合、「至福」なんてものはその気になれば簡単に築くことができる。
 この至福を邪魔するハエが2匹、私に接近戦を挑んできた。防戦に出る。そのうちにどこかに消えた。私の勝ちである。コーヒーを飲もうとカップを手にしたら、ハエが溺死しているのを見つけた。ありゃま。間違って落ちたのか、それとも私への嫌がらせか。
 サジでご遺体をすくい出す。ハエにしては幸せな死に方ではないだろうか。違いの分かるハエだったのかもしれない。合掌。

腹筋を鍛える(2002年5月20日)
 与那原町内の喫茶店C(カリフォルニアの頭文字だからCね)で昼飯を食べることにした。ちょっと古い感じのする店内である。壁側の席に座る。
 数メートル先の床をクモが横切るのが見えた。大きな手足(の区別はつかないが)である。どこに行ったんだ? 見に行くと、いるいる。おお、大きいぞ。
 ほかにもクモがいるのではないか。途端に周囲が気になる。天井を見上げ、足元や机の下をじっくり見て、壁を見て……。席を変わることを考える。でも、クモに大騒ぎしているのがばれたら情けない。我慢するしかない。
 うな丼が運ばれてきた。でも、足元が気になる。足元からクモが這い上がってくることを想像してしまう。ズボンの裾の中に入って、そのまま上がってきたら大変なことになる。「おおおおおおおおおお」と叫びながら店内を走り回る自分の姿が目に浮かぶ。
 苦肉の策として、足を浮かすことにした。これならクモは這い上がってくることはできないだろう。ざまぁみろ。腹筋が苦しくなると一瞬だけ床に足を下ろし、またすぐに上げる。最近ずっと体を鍛えていないから、けっこうきつい。
 でも、喫茶店で私は何をやっているんだ?!

首里城公園の有料区域で熱く語る(2002年5月15日)
 通常は入場料800円の有料区域(ここだけ国営公園。残りは県営公園)が今日のみ無料だったので、ビーンさんと行って来た。感想は……テレビや雑誌で見たのと同じだった、というほかない。当たり前か。
 御庭で写真を撮っている若い女性がいた。肌の色を見て、「ベトナム人に違いない」とビーンさんが断言する。そのベトナム人女性が私に声をかけてきた。「あの〜、このカメラで写真を撮ってもらえますか?」
 兵庫県出身の萩原さんという人で、八重山諸島を1ヵ月旅行して回ったあと、本島にやってきたのだった。道理でよく焼けている。
 一人旅である。「お父さんは心配しているでしょう」「たまに連絡しています」「それがいい。父親にとって娘は永遠の片思いですからね。父親は娘がかわいくてならないものなんです。お父さんを大切に」。本土復帰30周年の日に、由緒ある(?)首里城の御庭で、私は一体何を熱弁ふるっているんだ?! 

1フィート運動の問題点(2002年5月11日)
 沖縄大の新崎盛暉学長と2男夫妻と私で昼飯を食べた。ご馳走になった場だが、新崎学長が運営委員をしている「1フィート運動」を知らない学生が非常に多いこと(4月27日の日記参照)について私は話した。
 「1坪(反戦地主会)だってそうだよ」「1フィートの運営委員として、この状況には責任があるのでは」「責任?! (活動を)広くやってきたから、縮小しようと思ってんだ」「その前に1フィートを何とかすべきでは」
 1987年2月に沖縄に移住した際、私は1フィート運動に偶然出会い、以来2年少々上映活動を手伝ってきた。沖縄戦を若い世代に普及させる役割をこの運動が少しは果たしてきたのは間違いない。しかし今日、危惧した通り停滞している。
 実は停滞の予感は15年前からあった。頭(運営委員)が多い割には足(事務局)が1人か2人程度と貧弱で、にもかかわらず若い世代を戦略的に巻き込んでいくことをしていなかった。運営委員の1人である大田昌秀さんが県知事になった時に、1フィートの組織を県に吸収してもらおうと下駄を預けたのもまずかった。
 新崎学長との話の流れで、1フィート運動生き残りのための提案をした。やりようによっては活性化するはずの案ではある。新崎学長は少しは興味を示した(よね?!)。ダメもとで動いてみようと思う。本当はこんなことをやっているヒマはないのだが。

世界帆船フェスティバルin沖縄(2002年5月9日)
 那覇軍港で開催中の「世界帆船フェスティバルin沖縄」にビーンさんと行ってきた。ロシアの船が2隻ある。そのうちの1隻(船名を失念)は甲板のほか、船内に入ることができる。
 奥の会議室みたいなところにいたら、乗組員の兄ちゃんたち数人が入ってきて、私たちに物売りを始めた。船乗り風の小汚い帽子と古いバッジが2000円、使いまくったと思われるベルトも2000円、肩につけるというヨレヨレのワッペンが1000円だって。
 韓国海洋大学の船は、白い制服を着た学生たちが凛々しく、そしてにこやかに迎えてくれる。顔を見ると親近感を抱く。正面から見たら魚のようなアングロサクソン系の顔とは明らかに違う。要するに平べったいのだ。私の顔が平べったいからなおさら同じ系統の顔には親近感を抱くのかもしれない。アジア人同士仲良くしないとね。と思った時に、北朝鮮の5人が亡命に失敗したという今朝の新聞記事と写真を思い出してしまった。2、3歳の女の子の歪んだ顔に胸がつぶれた。あの写真はピュリッツァー賞をとるのではないか。と同時に、女の子の顔が世論を喚起することになると思う。
 ところで、先のロシアの帽子をかぶって歩くおじいさんを見つけた。2000円で買ったのか! その帽子をかぶって那覇の街(西原町内でも佐敷町内でもいい)を歩く勇気は私にはないなぁ。お見事である。

今日の『琉球新報』社会面の問題点(2002年5月5日)
 今日付の『琉球新報』社会面で「あれれ?」と思った部分が2つある。1つはトップ記事だ。該当部分を引用する。<高田さんは石原教授らと共に知念さんの自宅を訪ねた後藤さんは長男の年男さん(66)と対面し>。
 私はすぐに引っかかってしまった。「自宅を訪ねた後、藤さんは」? ん? 藤さんって誰だ? 記事を読み返してようやく「自宅を訪ねた。後藤さんは」であると分かった。マルが抜けているのをデスクも校閲者も見落としたのか。社会面トップ記事なのに。訂正記事は出るのかな?
 もう1つは写真だ。<オオカブト同士の闘いをジッと見つめる子供たち>という説明文がついている写真の焦点は、子供たちではなくカブトムシに合ってしまっている。かわいい子供の笑顔がボケている。もったいないなぁ。
 新聞のミスは、医師や看護婦による医療過誤と違って人命に全く影響しないから、よかったね。こういうミスのあとは、1面に掲げた「ABC認証紙」というのを外して反省したほうがいいのではないか。

那覇ハーリーの問題点(2002年5月5日)
 那覇ハーリーを見に行った。たまたま見たハーリー一般競漕では陸上自衛隊組と航空自衛隊組が接線の末、予想通り陸自組が制した。「チカラワザになるとやっぱりね」と言われないよう、空自組は来年健闘してほしい。空幕が知ったら嘆くだろうなぁ。
 さて、那覇ハーリーの問題点である。沖縄テレビが中継していたせいか、男性司会者が「テレビの放送時間の都合で」という趣旨の発言を連発していた。会場に来ることのできない大勢の人たちに見てもらうためにはある程度やむを得ないとは思う。でも、そういう舞台裏はマイクの前であまり言わないほうがいい。暑い中ずっと待っている観客の中からは「帰ろ帰ろ」という白けた声が上がっていた。
 演出が下手くそである。御願バーリーでは3隻が港の中を2周するのだが、観客がいる岸壁の端まで回ってこなかった。28回も開催していて、こんな基本的なことが未だにできていないとは……。
 そのくせ、ハーリーと全く関係ない出店をずらりと並べて客集めをしている。本末転倒である。
 それから、ハーリーの最中に、着飾らされたガキどもに小舞台で歌を歌わせるのはやめてくれ。雰囲気が台なしだ。
 本バーリーは抜きつ抜かれつの接戦になった。男性司会者の叫ぶ声がマイクに乗って響く。「いく! いく! いきそうだ!」。ヒワイだなぁと思ったのは私だけか? 私なら言葉を選ぶけどなぁ。

連休中は図書館が閉まっている(2002年5月3日)
 図書館に数時間こもって調べものをする予定だった。ところが、徒歩10分の宜野湾市民図書館が閉まっている。もしかして……。危惧は的中した。県立図書館や沖縄大図書館、沖縄国際大図書館などに問い合わせたところ、すべて休館だ。
 連休はじっくり本を読めるいい機会だろうに。職員が休みたい気持ちは分かる。でも、仕事の分かち合いで乗り切ることはできるだろう。調べものをしたい人は連休中は万事休すなのか?!
 私が調べたいのはここ1ヶ月ほどの『読売新聞』(東京本社版)である。そこで、那覇市にある本土新聞販売所に電話をかけた。取っておくのは2週間分程度だという。「1か月分くらいは目を通したいんですが」「では、聞いてみましょう」
 販売店の人がわざわざ読者宅を回り、古新聞に出す直前状態になっていた『読売新聞』をほぼ1か月分かき集めてくれた。私は楚辺の販売所を訪ねた。「古新聞だから500円でいいです」というのに感動し、2500円渡した。古新聞であっても、初めて目を通す私には価値がある。
 数時間かけて読み終えた。思いがけない“拾い物”があった。国仲涼子ちゃんのカラー写真と記事が出ているのだ。大喜びで切り抜いた。図書館の新聞ならこうはいかない。この記事を見た時だけは図書館の閉館に感謝してしまった。

『争点・沖縄戦の記憶』をついに入手(2002年5月1日)
 注文していた『争点・沖縄戦の記憶』(社会評論社)が届いたという連絡を受け、那覇市の球陽堂書房に急行した。県立平和祈念資料館の移転に合わせて秘密裏に稲嶺県政が実施しようとして1999年夏に発覚した「展示の改竄」を記録した素晴らしい本である。
 まずは文句を2つだけ。その1。題名がひどすぎる。稲嶺県政による改竄事件なのに「争点」なの? その2。価格が高すぎる。少しでも安い価格にして一人でも多くの読者に読んでもらいたいと奮闘する編集者が多い中で、2300円というのはさすが日本評論社だ。「買う人は買う」という題名と価格設定では、読者が限られてしまう(それではまるで『週刊金曜日』だ)。第4章から第6章を柱に据え、第1章から第3章はもっともっと削除したほうがよかった。
 ただし、内容は非常に面白い。改竄事件の“犯人”である稲嶺恵一知事が記者から突っ込まれて右顧左眄・右往左往する様子は、この人の幼児性を浮き彫りにしている。稲嶺知事の幼児性は以前痛感したことがあるので、やっぱりねと納得してしまった。
 99年の事件とやや古い話ではあるけれど、沖縄県民はいつまでも忘れないほうがいい事件だと私は思う。でも、県民は忘れているだろう。そしてもう問題視していないだろう。優しい(??)県民でよかったね、稲嶺さん。


©2002, 有限会社沖縄王