変酋長日記 〜2002年1月〜2月までのバックナンバー〜
 

ネットで注文した本を球陽堂書房で受け取る(2002年2月28日)
 国際通りの球陽堂書房で本を買うことが多い。 スタンプカード制度があるからだ。1000円ごとにハンコを1つ押してくれる。 これが25(2万5000円分)たまれば500円の図書券がもらえる仕組みである。
 この本屋の品揃えは今ひとつなのだが、スタンプカードに引っかかった私は 離れられなくなっている。
 よその本屋にあるのに球陽堂書房にない本を1冊取り寄せることにした。 ネットの「e-hon 全国書店ネットワーク」(http://www.e-hon.ne.jp)で注文し、 それを球陽堂書房で受け取ることができる。これならスタンプを得ることができる。
 しかし、予想以上に日数がかかった。2月19日に注文し、22日には 「発送の準備が整った」とメールが来た。ここまではトントン拍子だ。 しかし、「商品到着のお知らせ」メールが届いたのは 28日昼過ぎだった。注文から受け取りまで約10日かかった。
 ネットならではの迅速性がない。船便だから仕方ないのか。でも、これでは 本屋で直接注文するのと何ら変わらない。沖縄への本を航空機に 乗せてもらえないものか。
 注文した本を受け取りに行き、ついでにほかの本を数冊買い、 スタンプを5つ押してもらいながら、そんなことを考えた。
 

毎日新聞新潟支局記者・大谷麻由美さんの誤り(2002年2月23日)
 全国紙では『毎日新聞』を読んでいる。西原町の部屋で2月6日付『毎日』の 名物コラム「記者の目」を読んで、思わずのけぞった。新潟支局記者の 大谷麻由美さんが「新潟女性監禁事件」について述懐している。
 事件発覚から約2ヵ月、被害女性の父親が取材をもうやめてほしいと求めた。 これに対して、<でも、書くことをやめるわけにはいかなかった。 記事を書くことで、何からの役に立てると信じて仕事をしているのだから。 それに、事件に対する人々の関心は高かったし、女性が今どうしているか、 知りたい読者の気持ちに応える必要があると思ったからだ>と あまりにも率直(無防備)に書いた。
 かつて同じ新聞社で記者をしていた私も、 このような自分勝手な理屈で仕事をしていたに違いない。だからこそ、 今日の日記はこのことについて書こうと思う。
 <女性と接触した人たちを探し、話を聞き、記事にした>り、 <女性を中傷するビラがガソリンスタンドに繰り返し張られた>のを 記事にしたそうである。
 大谷さんの気持ちはよく分かる。私が同じ立場にいたら、 同じような取材をしていた可能性が非常に高い。支局長やデスクに尻を叩かれる だろうしね。でも、会社員記者の立場を離れた私には見えてくるものがある。
 残念ながら、大谷さんは「公」と「私」の区別ができていない。
 <何かの役に立てる>と言うが、いったい「何」の役に立ったのか具体的に 説明できるだろうか。実は何の役にも立っていない。大谷さんの功名心を 満足させることはできたかもしれないが。
 私には娘が2人いる。事件発覚時、これが自分の娘だったら……と 重ね合わせて考えた。被害女性の父親の「取材は終了させていただきたい」 という気持ちは私なりに分かるつもりだ。
 読者の関心が高ければ被害者の「私」の部分を公表する権利が 新聞記者ごときにあるのだろうか。大谷さんが被害者と同じ立場になっても 同じことを“主張”できるだろうか。被害者が嫌だと言っているのに、 「私」の部分を当事者の許可なく書く権利はない。
 大谷さんは根本的なことに気づいていない。あなたの今回の仕事は 被害者にとって「大きなお世話」だという点だ。被害者の視点に立たない記事が いったい「何」の役に立つというのか。
 <一体どうやって記事を書けば、女性の幸せを願っている気持ちが伝わるのか。 事件発覚から2年間、悩み続けた>と、被害者とその家族の気持ちに対して 鈍感であることを図らずも白状している。悩んだってか? 私に言わせると、 大谷さん自身が自分の鈍感さに2年間どころか未だに気づいていない ということになる。
 もちろん公判の節目は報道すべきだと思う。 でも、それ以外の「私」の部分に踏み込む権利はない。
 この「記者の目」は<今後、女性や家族、読者にも「良かった」と思ってもらえる 記事を書けるようになるだろうか。私は重い気持ちを抱きながらも、 努力を続けるしかないのだろう>で結んでいる。社内報にでも書くべき 安易な結論である。
 熱心な取材魂があるのなら、さまざまな形をした 「権力」や「不正」に向けたほうがいい。それでこそ記者だと思う。
 

写真は怖い(2002年2月19日)
 午後、県庁周辺で「SATがゆく」の再撮影をさせてもらった。 被写体は24歳の女性である。
 実は11日に取材と撮影をさせてもらった。ところがである。そのあと、 デジカメで撮影した画像をパソコンに取り込んで、思わず叫んでしまった。 「げ。どうしよう」。被写体の顔がハレーションを起こしていたのだ。
 数日悩んだ挙げ句、電話でお詫びと再撮影のお願いを伝えた。 快く了解してくれたので、今日を迎えたというわけだ。
 沖縄王で私が使っているカメラはマクセルのWS30(35万画素)である。 1万円少々のデジカメだ。モニターがついていない。パソコンにつないで初めて 画像を確認できる。普通の一眼レフカメラで撮影した場合も 写真が出来上がるまではきちんと写っているかどうか分からない。 これは本当に怖いことだ。
 今日の再撮影には同じデジカメを2台持参し、計40枚以上を撮った。 相手を2度にわたって拘束するのだから、もう失敗は許されない。 恐縮しながらも必死で撮った。
 このあと立ち寄って一服したドトール松尾店で読んだ 『気づきの写真術』(石井正彦・文春文庫)に <写真を職業とする者にとって、いちばん怖いのは、果たしてちゃんと 撮れたか、です>という一文を見つけた。石井氏は出版社の写真部長だった。 そんなプロでさえ(プロだからなおさら)怖いと思うのだ。
 普通のデジカメにはモニターがついていて、撮影した画像を その場ですぐに見ることができる。今回の失敗で、急に欲しくなってきた。
 再撮影した画像をパソコンで見た。被写体のかわいい表情が写っている。 ほっとした。
 カメラの怖さを知ってしまった。21日に別の取材がある。2台で撮ろう。

「スーパーおすすめサイト2002」を受賞した!(2002年2月15日)
 専門ガイドによる総合情報サイト「All About Japan 」が実施する 「スーパーおすすめサイト」に、沖縄王が選ばれた。リンクされた7万サイトの 中から620サイトが選ばれ、その中に沖縄王が入ったのだ。
 受賞の知らせをメールで受けた私は、西原町の部屋で一人小躍りした。 カチャーシーと阿波踊りである。
 お金はなかったけれど、「やってみようか」という気持ちだけはあった。 昨年4月1日に創刊し、大勢のスタッフが手弁当で力を合わせてやってきた。 そんな沖縄王が評価されたのだ。うれしくてうれしくて。
 創刊1年も経っていない沖縄王を選んでくださった関係者に、 スタッフ一同心から感謝申し上げます。
 また、海のものとも山のものとも分からない沖縄王の創刊当初から 広告を掲載してくれている沖縄市の「フラワースタジオ ひるがお」さんと 那覇市を中心に飲食店「アルテ」を展開する「アルテプラン」さんに、 スタッフ一同心から感謝申し上げます。
 本当にありがとうございました。

ありがたい1日(2002年2月12日)
 取材で名護市の名護高等予備校を訪ね、 輿石正先生から3時間ほど話をうかがった。 頭で考えただけの安易な言語や思考ではなく、 大地に立つ足腰から発せられる言語や思考を 私はしているだろうかと自問する。
 取材とはいえ、1対1で勉強をさせて もらっているのと同じだ。ありがたい時間だった。
 午後4時30分に本部町に到着、閉店間際の政良さしみ店で 刺身を食べてから、「今週のお店」用に取材をさせてもらう。 店を閉める直前だったにもかかわらず応じてくれた。ありがたい。
 ここからさらに「風の丘」に行き、東シナ海が一望できる テラスで紅茶を飲む。お金で買えない時間と風景を 私は今もらっていると思った。
 西の空が夕焼けになる前に出発し、 西原町に向けて原付きバイクを走らせる。
 薄着の足全体が冷え、寒くて仕方ない。石原裕次郎の歌を 大声で歌ったり「うりゃぁ〜」などと大声で気合を入れたり しながら走る。そうでもしないと寒くて寒くてたまらない。 途中、恩納村のマクドナルドでコーヒーを飲んで暖を取る。
 長距離だったけれど、バイクは故障せず、 交通事故に遭うこともなく、午後9時すぎ西原町に無事帰ってきた。 ありがたいことの多い1日だった。

沖縄テレビの宮城歓“記者”(2002年2月10日)
 那覇市の球陽堂書房で『ダカーポ』2002年2月20日号を買った。 1月26日にパレット市民劇場で開かれた個人情報保護法反対集会の 模様を「メディア時評」欄に斎藤貴男さんが書いているからだ。
 この集会での沖縄テレビの宮城歓“記者”の発言を、斎藤氏は <テロ以来、米軍はメディアの選別を始めた。同じ記者クラブに 属していても、某国営放送だけに撮影を許可するケースが目立つ>と記している。 うんうん、確かにそんなことを言っていた。
 そんな発言を聞いた私がそのとき思ったのは、 幼稚なことを言う“記者”がいるもんだなぁということだった。
 理由の第1は、NHKとなぜ明確に言わないのか私には理解できない。 見え見えなのに「某国営放送」としか言えない程度の精神力なら、 最初から黙っているほうが賢く見える。
 そして第2は、これは非常に重要なことなのだが、 米軍が沖縄テレビではなくNHKを重視することを問題視している点だ。 メディアの選別? 当たり前でしょ。あなたはいったい何様なのか。 被取材者がすべてのメディアに平等に対応しなければならないはずがない。 米軍にしてみれば影響力のあるNHKがいいというだけの話だ。
 こんな例はいくらでもある。ホワイトハウスの取材で、最前列は 米国の報道陣が占め、日本の報道陣は後ろのほうにいると聞く。 被取材者にとって選別は当たり前である。
 第3は、米軍が許可して撮影させる対象は、 米軍にとって都合のいいものが大半だということだ。 そんなものに固執する必要は全くないと私は思う。
 第4は、宮城“記者”が自分の発言を 「記者として非常に恥ずかしい内容である」ことに気づいていないことだ。
 にもかかわらず、斎藤氏は<現場からの臨場感溢れる報告が続く>と持ち上げている。 おいおい、どこが「臨場感」だ?
 私がかつて駆け出し記者生活を送った毎日新聞福島支局の当時の 支局長ならこう喝を入れるだろう。「キミね、許可や不許可は 記者には関係ないんだよ。許可されていないものを取って来るのが 記者なんだよ」

メールに礼儀あるべし(2002年2月10日)
 知らない人からこんなメールが届いた。何の挨拶もなく、 いきなり自分の用事を書いている。原文のまま紹介する。
 <2/25に家族連れで読谷村に旅行に行きます。 服装は、上着無しで、長袖か半袖ですむのでしょうか? また、 穴場の観光スポットやショップ、会いに行くといい人も お心あたりがありましたらご紹介下さい! 海のカヌーを したことはありますが、是非スキューバダイビングもやってみたいと思います>
 私は「ご近所さんを探せ」に登録している。相手はこれを見てメールを 寄越したのだ。神奈川県川崎市多摩区の40歳男である。
 礼儀知らずのメールに返事を書く必要は全くない。 しかし私は、自分で言うのも何だが、サービス精神にあふれている。 沖縄にお金を落とす人を無視するわけにはいかない。 そこで、以下の返事を送った。
 <その日の寒暖は予測できませんので、うかつなアドバイスは できません。出発前に天気予報をご覧になるのが一番だと思います。
 ただ、今日の私の服装はTシャツに長袖、フリースでした。 私の場合バイクに乗っているのでやや重装備かもしれませんが。 本土の「春」と同じ感じかなと思います。
 穴場ですか。う〜ん、住んでいる立場から申し上げますと 「穴場」などありません。ご趣味に合わせて行動なさるのが一番かと 思います。
 「人」も同じです。私の知り合いをご紹介しても仕方ありませんので、 ご趣味に合わせてお探しになるのがよろしいかと思います。
 楽しいご旅行を。
 最後に。このようなご質問をくださるのはいっこうにかまいませんが、 礼儀正しくお書きになるべきだと思います>
 何のために沖縄に来るんだろう。自分で考えたり判断したりできない“大人”が世の中には いるんだよなぁ。

NHKのラジオ深夜便(2002年2月5日)
 私が住む西原町上原は夜中になると非常に静かになる。 車一台走らないことがある。「いい環境ですね」と羨ましがられそうだ。
 それは違う。大変な怖がりの私にとっては「いい環境」とは言えない。
 寝るのはいつも午前3時から同5時くらいの間だ。 それまでかけていたCDの音楽を止めると、静寂の世界がやって来る。 でも、聞こえるのだ、「シ〜ン」という“音”が。 耳の奥で何やら金属音のような“音”が聞こえるような気もする。
 今までに見聞きした心霊写真や怖い話がどんどん浮かぶ。 耳元で「こんばんはぁ〜」とささやかれそうな気がする。 何も聞こえないよう耳を押さえて眠ろうと努力する。
 眠っても、ふと目覚めることがある。 水中から水面にぷかりと浮上したような感じで意識が戻るのだ。 耳を澄ます。「シ〜ン」という“音”が聞こえる。 うう、怖い。眠ろう。また努力する。
 この環境を改善する方法を見つけた。 朝まで放送しているNHKのラジオ番組「ラジオ深夜便」を 音声を絞って流すのだ。音があると安心して眠れる。 私は “文明人”なのだなとつくづく思う。
 この方法で唯一の欠点は、寝床に入った段階で 石原裕次郎など私の好きな音楽が流れていると、 うれしくなってつい一緒に歌ってしまうことだ。

本多勝一の最期(2002年2月3日)
 『噂の真相』2月号を那覇市内の球陽堂書房で買った。 本多勝一さんがリクルートから接待を受けていた証拠が 写真入で掲載されている。
 本多氏を知らない人が最近多いので簡単に説明しておこう。 朝日新聞の記者としてかつて活躍した人物だ。そして、 何を隠そう(隠していない)私が『週刊金曜日』編集部に いたころの上司だった。本多氏のお仲間の黒川宣之さん (元朝日新聞論説副主幹)のセクハラ問題がきっかけで私は 猛烈な追い出し工作に遭った。 そのころの話は『新潮45』200年12月号に 「私が見た反権力雑誌『週刊金曜日』の悲惨な内幕」として 書いたので、ここでは省略する。
 『噂の真相』を読むと、本多氏らはリクルートから接待を受けただけでなく、 その事実を隠そうと動いたことが分かる。「事実が大切だ」という趣旨のお題目を 唱えてきたご本人が「事実」を隠したとなれば、吉本新喜劇並みのお笑いである。
 新聞記者は基本的にきれいごとを言ったり書いたりするのがうまい。 商売柄表現力はあるから、人を感動させる表現くらい朝飯前でひねり出す。 「文は人なり」と言われる。しかし、それは嘘だと私は確信している。 その具体例の1つが本多氏だ。かわいそうなことに、『噂の真相』の記事に対して 具体的に反論できていない。
 沖縄王は「きれいごと」に陥らないよう気をつけたい。
 

更新回数を減らす(2002年2月1日)
 今日付から更新回数を減らすことにした。昨年4月1日に創刊して以来、 年末年始に少し休んだのを除くと、毎日更新してきた。振り返ると、 けっこうな分量になっている。
 このまま毎日更新を続けると自転車操業になる恐れが出てきた。 自転車操業になると、例えばおいしくない店であっても、 「今週のお店」に載せざるを得ないという阿呆な事態が起こりうる。 そんなことになったら沖縄王の情報の質を下げてしまう。
 沖縄王はおべんちゃら記事を載せていない。今後も載せる気はない。 その矜持を維持するために、更新回数を減らすことにした。これからは 月水金の週3回更新になる。
 私には合わないけれど、のんびり続けるのが沖縄的なのかもね。

金武酒造「龍」をどこで買うべきか(2002年1月25日)
 名護市と本部町で取材をして西原町に戻る途中、 名護市許田にある「駅の道」に寄った。ある商品の価格を 再確認するためである。
 本土の人へのお土産として金武酒造の6年古酒「龍」を私はよく買う。 昨年12月、「道の駅」で2200円で買った。この価格は今日も 同じだった。定価なのだろう。
 同じ「龍」が那覇市内の某店では1705円で売られている。約500円安い。
 県内の価格比較の情報をどこかが発信してくれるといいなぁ。

沼波正・日本銀行前那覇支店長(2002年1月20日)
 今日付の『琉球新報』の「日曜論評」に <「シーサー大使」にしてほしい!>というお馬鹿な原稿を書いているのが、 日銀前那覇支店長の沼波正さんである。
 鹿児島支店長をした同期の部屋には<鹿児島名産の屋久杉で作られた、 「薩摩大使○○殿」という名入りの置物があります。桜島のイラストのついた 「薩摩大使」の名刺は、県に頼むと幾らでも刷ってくれるそうです。定期的に 県の広報誌や観光PR用の資料などが届き、さらに、毎年県知事主催の パーティー(「鹿児島の夕べ」)に招待されるといいます>などと書き進め、 最後は<沖縄県庁の皆様、早く私を「シーサー大使」にして下さい!>で 原稿は終わっている。
 臆面のない内容である。恥知らずと言うのがより正しいかもしれない。
 沖縄が好きな人は大勢いる。いちいち「シーサー大使」などの肩書きを県から もらわなくても、沖縄のことを周知させようとしている人は山ほどいる。 当たり前の話として、肩書きがなくても、沖縄を応援することは いくらでもできる。
 肩書きにこだわる辺りが小役人的日銀マンである。私は笑いを禁じえない。 ぷぷぷ。
 沼波氏が憧れを伴って挙げた鹿児島県の例を読むと、税金の無駄遣いとしか思えない。 屋久杉で作ってくれた置物は小役人的日銀マンの自尊心をチョチョイと くすぐるのだろうが。
 名刺の印刷費くらい自分で払えよ。
 知事主催のパーティーに“招待”されて喜ぶのではなく、 自腹を切って友人や知人を招いて「沖縄の素晴らしさを語る夕べ」を 自分で開催すればいい。
 小役人的日銀マンの辞書に「自腹」の文字はない、なんてね。
 この原稿の書き出しは<沖縄の皆様、お久しぶりです。 日銀の沼波です>である。気安く<沖縄の皆様>と呼びかけているが、 実は<沖縄県庁の皆様>向けでしかないことを 最後の一文で自ら白状している。
 この人、脳細胞がマヒしている。 マヒしていないのなら、腐っている。
 沖縄のジャーナリズムは、税金が無駄遣いされないよう しっかり監視しましょう。

エイサー会館と阿波おどり会館(2002年1月20日)
 沖縄市のパルミラ通りにエイサー会館が開店すると聞き、見に行った。 地元の3つの青年会が披露したエイサーを楽しめた。最後は予想通りカチャーシーだ。 待ってました。私は踊るつもりでいた。
 司会者は「みなさんもご一緒に」と呼びかけている。ところが、である。 私の前のほうで見ていた地元の人たちが一斉に退いて来るではないか。 あれ? 踊らないの? え、何で? どうしてよ?
 そんな状況のなか、一人で飛び込んで下手クソなカチャーシーを踊る勇気は 私にはなかった。沖縄の人はいつでも踊っているというイメージが一部にあるが、 これは大間違いである。
 「結婚披露宴なら踊るけどね」と沖縄市の知り合いに言われた。でも、 それなら徳島だって同じだ。披露宴の最後を阿波踊りで締めることは 時々ある。
 ここで阿波踊りの話を書いたのは意図的である。

 徳島市には「阿波おどり会館」がある。比較するのはかわいそうな気がしないではない。 しかし、比べるからこそ見えてくることがある。
 阿波おどり会館は徳島市が33億円かけて作った(1999年7月31日開業)、 市の施設である。250の客席があり、毎日3-4回阿波踊りを見ることができる。 オフシーズンでも踊る。「お客さんが1人でも踊ります」と吉田宏館長は言う。
 公的施設の強みと言うべきか、よしあしは別にして、営業的な数字を気にしない。 吉田館長の「伝統芸能の阿波踊りの保存伝承と観光客に 楽しんでいただきたいというのが狙いです」という言葉は、公的施設ではないとはいえ エイサー会館にもあてはまる。
 エイサー会館というから、私は期待した。どんな立派なものかと思っていただけに、 ショックというか悲しかった。私が再び訪ねる可能性は低い。だって何もないのだから。 いったい誰に向けたエイサー会館なのか。20日の初開店時に沖縄市助役らがお祝いの言葉を 述べていた。のんきとしか言いようがない。手放しで報じた地元マスコミも同じである。 のんき。
 特に沖縄市の幹部は、阿波おどり会館を視察するなり ホームページ(http://www.awaodori-kaikan.jp)を見るなりして、 エイサー会館に何が不足しているのかを勉強したほうがいい。
 

『エンカルタ百科事典2001』を安く買う方法(2002年1月16日)
 『エンカルタ百科事典2001』(マイクロソフト)が宅配便で届いた。 これが実に面白い。CD-ROM2枚に収録されているだけあって、項目の説明文のほか、 音や写真、歴史年表、関連項目などを縦横無尽に見ることができるのだ。 調べものをしている途中で、興味の対象がどんどん広がってしまう。
 百科事典について、知った風に否定的な見方をする人がいる。 例えば『困ったときの情報整理』(東谷暁・文春新書)は <現在手に入る日本語で書かれた百科事典の場合、そこに記載 された文章のレベルというのは、それほど高く設定されていない。 ためしに、あなたがいちばん得意な分野の項目を読んでみるといい。「なんだ、 この項目はたいしたことが書いてないな」と思うに違いない。しかし、 それがその事典の全体のレベルなのだ>という具合だ。 これはトンデモナイ勘違いであり、思い上がりだ。
 私の場合、知識は豊富ではない。「全共闘」でも 「亜熱帯」でも「阿波踊り」でも何でもいいが、 分かっているようでいて、実は数字や固有名詞を挙げて 明確に説明できるほどの知識を私は持っていない。私と違って、 この筆者は本当に本当に博覧強記なのだろうか。
 さらに指摘すると、自分の得意分野に関する知識と 不得手な分野に関する知識とを比べること自体が間違っている。 不得手な分野について、そこそこの知識を得ることができれば まずはそれでいいではないか。ゼロに近い状態から最低でも基礎レベルには 上がるとすれば、百科事典を引かないよりは引いたほうが絶対によい。
 おっと、本題に入っていなかった。
 私はこれをヨドバシカメラのネットショップで買った。送料無料である。 単価は1万4800円、消費税740円が加わって、総額1万5540円だ。 しかし、ポイントが10%つくから、差し引き1万3986円になる。
 それだけではない。ただ今マイクロソフトでは期間限定の キャッシュバックキャンペーン中で、5000円も戻ってくる。 つまり、わずか8986円で今なら手に入れることができるのだ。
 ちなみに沖縄の電器屋(B電器など)では、小売り価格が1万5800円で、 ポイントは1%しかつかなかったりする。
 沖縄は本土からの運賃が加わるから高くつくとよく言われる。 でも、もう1回書くけれど、ヨドバシカメラのネットショップは送料無料だよ。
 結論。ネットショップを上手に利用すれば、 沖縄にいて都会並みの安さで商品を買うことができる。 これこそIT格差と言うべきだろう。

福島市のパイナップルハウス(2002年1月14日)
 東北のJR福島駅前で沖縄料理の店「パイナップルハウス」を経営する 渡辺修さんと那覇市内で会った。福島からの往復の飛行機代と グランドキャッスル(最近はホテル日航那覇とも言うそうな)の2泊宿泊、 それに朝食込みで2万6000円だと聞き、たまげる。
 渡辺さんの妻・冷子さんは糸満の出身だ。てきぱきとお店を切り盛り するママさんだった。しかし1996年にガンで亡くなった。 まだ40代だった。
 渡辺さんの話では、昨年は「ちゅらさん」効果で客層が広がった。 人気はゴーヤー料理で、従来の2倍の売れ行きを記録した。 「でも、福島ではポークが口に合わない人が多くて」。 確かにあれは好き嫌いが分かれるだろうな。
 私が福島市内に住んでいた頃、「パイナップルハウス」には 本当によく食べに行った。非常においしいのだ。 記者たちの溜まり場で、行けば誰かが食べるか飲むかしていたものだ。
 今も健在であるばかりか、お客さんの裾野が広がったというのだからうれしい。 ママさんが生きていたらなぁ。
 午後4時前から午前0時まで、那覇市内の店を3軒はしごした。 渡辺さんは泡盛をぐいぐい飲み、アルコールに弱い私はウコン茶を ちびちび飲んだ。
 渡辺さんは年に1回は沖縄に来ている。来年も沖縄で会いましょうね。

テクノストレス(2002年1月13日)
 午前3時ごろからパソコンに新しいメールソフトを導入しようと 試みたのがそもそもいけなかった。うまく導入できない。その理由が 分かれば苦労はしない。
 コントロールパネルやダイヤルアップ接続などを あーでもないこーでもないどーなんだ? といじくってしまったのも、 事態を悪化させることになった。従来のメールソフトまで調子が悪くなってきた。 さらにいじくっていると、今度はモデムが動かなくなってしまった。
 モデムが動かないということはインターネットに接続できないことを 意味する。原稿や写真のやりとりができなくなると、沖縄王が 止まってしまう。これはいけないと思い、必死になっていじくり回す。 が、やはりモデムは動かない。ふと気が付くと午前6時になっている。
 まずい。寝よう。まずは寝ることにした。現実逃避に近いが、 起きたら現実が待っているのだから、逃避ではない。 原稿を書く貴重な時間をパソコン復旧(しかも復旧できていない) でつぶしてしまったのが悔しい。
 コンピュータ産業従事者に広がるテクノストレスの研究が 米国で始まったのは1970年代だ。日本でのテクノストレスの状況を 共同通信の斎藤茂男記者がルポしたのは80年代だったと思う。 文系人間の私には無縁の話だと思っていた。
 お昼に起き、さっそくパソコンに向かう。 モデムの電源を切って再び入れるという作業をしたら 動き出した。何だったんだ。
 原因は分からない。原因を追究する気力も実力もない。 新メールソフトの導入は先延ばしすることにした。 元通りに復旧したからよかったと言うべきなのだろうか。

もあい2連ちゃん(2002年1月11日)
 午後1時から具志川ジャスコ内のドトールコーヒーで 沖縄王スタッフのもあい(会費は1000円)を開いた。 企画案を熱心に話し合うつもりだったが、 「『ちゅらさん』に出ていた山田孝之が『ロング・ラブレター』に 出ているね」「『嫉妬の香り』に出ていた堺雅人が『婚外恋愛』に、 オダギリジョーが『初体験』に出ているよ」「『恋ノチカラ』はお薦め」 など、テレビドラマと俳優の情報交換を熱心にしてしまった。
 夜8時30分から参加したのは、首里のアルテ・フェルマータで開かれた 別のもあい(会費は1万円)だ。カラオケなどに興じ、 午前0時を過ぎた辺りから11人の参加者は少しずつ帰宅してゆく。 最後に残った設計事務所長(愛媛県出身)と 県立芸大生(大阪府出身)と私(徳島県出身)の3人で、 安藤忠雄の建築物の評価をテーマに午前3時まで盛り上がった。ちなみに沖縄にある 安藤氏の作品には国際通りの「フェスティバル」ビル(現在のOPA)がある。
 こんな1日は楽しいなぁ。当たり前だけど。

沖縄に帰るためには飛行機に乗らねばならない(2002年1月7日)
 羽田発12時30分のJAL機で“出張先”から沖縄に帰ってきた。 着陸20分前、太平洋上空の雲の中で3回ほど ジェットコースター状態を味わう。
 羽田を出発直後に「少し揺れる」という機内アナウンスはあった。 「クリティカルイレブンミニッツ」(飛行機事故が 集中する離陸後3分、着陸前8分を総合してこう呼ぶ) 内ではなかったが、機体が大きく上下するのは気持ちのいいものではない。 汗びっしょりになった手で肘掛や前の座席を思わずつかんでしまう。 こういう時、人は何かをつかみたくなるのか?
 昨年9月12日、台風の過ぎ去りつつある沖縄本島に向かう ANA機に乗った時も手に汗握った。 那覇空港の滑走路に着陸する寸前に 横殴りの風雨に遭い(飛行機は正面からの風には強いが、横風には弱い)、 機体はタッチアンドゴーの感じで上昇した。 30分以上旋回したあと悪天候をついて2度目の着陸に挑戦、 タイヤがドスンと接地した感触が伝わると、乗客から大きな拍手がわき起こった。 しかし上空では機体が激しく揺れるたびにあちらこちらで悲鳴があがっていた。 私は「降ろしてくれ」「羽田に戻ってくれ」と心の中で叫んだ。
 飛行機は極めて安全性の高い乗り物ではある。しかし、 事故が起きれば死ぬ確率は非常に高い。そういう乗り物を 利用しなければ(船があるけれど時間がかかりすぎる)、 本土から沖縄に渡ることができない。
 飛行機が激しく揺れるたびに私は体を緊張させてしまう。 そして思うのだ。操縦士は今どんな表情でいるのだろうかと。 飛行機が安全に航行しているかどうかを知るには、 操縦士の様子を見るのが一番だ。 機体が激しく揺れていても、操縦士が悠然としていれば安心できる。
 機内前方のスクリーンでコックピット内から見える進行方向の 景色を映し出すサービスがよくある。それもいいけれど、 「操縦士の様子」を映してくれるほうが私はずっと安心できる。
 いつだったか、那覇空港を離陸したばかりのANA機が上昇中に激しく 揺れたことがあった。そのとき機長ののんびりした声で「揺れていますが 支障はありません」というアナウンスが流れた。「機長がこれだけ のんびりした声なら大丈夫だろう」と安心した記憶がある。 サービスとはこういうものを言う。
 揺れている時こそ操縦士の様子を知りたい。 だからといって、「大変だ!」などという声を 聞きたいわけではないのだが。


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