変酋長日記 〜2001年7月〜12月までのバックナンバー〜
 

クリスマスはカラオケで(2001年12月25日)
 沖縄王スタッフの忘年会を一日橋の「カラオケハウスとまと」で開いた。 正午から午後8時まで1部屋借りて2200円だから、べらぼうに安い。
 当たり前ではあるが、沖縄音楽がそろっている。うれしい。 「ありがとう」や「乾杯さびら」、「ハイサイおじさん」、 「カチャーチどんどん」、「唐船どーい」などを歌った。 予想以上に難しかったのは「めでたいめでたい」だ。 CDを聞いているのである程度は歌えると思っていたが、 間の取り方などが難しく、メロメロになってしまった。
 三々五々スタッフが集まって人数が増えると、マイクが 回ってくるのが遅くなる。夕方以降スタッフが1人減り2人減りすると、 スタッフのたまちゃんと私はほくそえんだ。そのぶん マイクが早く回るからである。
 「歌うペースとしては3人の場合が一番いいね」と言いながら、 最後の2時間は私とたまちゃんの2人で交互に歌い続けた。

クリスマスイブはソーキそばで(2001年12月24日)
 取材で国際通りに出た。平日の6〜7倍と思えるくらい大勢の人が 歩いているのを見てようやく気づいた。そうか今日はクリスマスイブだ。
 沖縄に“単身赴任中”の私は1人でケーキセットを食べる計画を 立てていた。しかし、絵にならない光景だ。ふと名案が浮かんだ。 そうだ、大好物のソーキそばを食べよう。
 さっそく「那覇そば」の店に入り、630円で味わった。 これで満足したので、部屋に戻って年末年始用の記事の準備に取りかかる。 りんけんバンドや「アリーマイラブ」、「太陽にほえろ!」、 「アダージョ・カラヤン」などのCDを聞きながら。
 充実したクリスマスイブを過ごせたのはソーキそばのお陰である。 ただ、いつも思うことがある。沖縄は物価が安いと言われるが、 ソーキそばを含むそばの価格が少し高すぎる。原価を考えれば、 ソーキそばだって500円以内にできないはずがないのだが……。
 

糸満で食べたソデイカ(2001年12月22日)
 糸満ふるさと祭りに行ってみた。 目当ては糸満漁協婦人部の「海人食堂」だ。 おなかを空かせて午後2時半ごろ到着し、直行した。
 食べたのは「イカスミ汁」(500円)である。 軟らかくておいしい。寒風の中、原付を走らせて来たので、 冷えた体が温まった。
 最近「深層水」という言葉の付いた商品が 流行しているのに影響を受けたのだろう、 「海洋深層水イカ」と銘打っていた。 要するにソデイカである。
 「深層水」という、分かったような分からないような 言葉の力を借りなくても、糸満のソデイカは十分うまい と私は思う。
 ソデイカはそれ以上でもソデイカでもないのだ。 ソデイカ、それでいい。
 

盗まれた!(2001年12月14日)
 与那原町のジェフにとめておいた私の原付バイクから ナンバープレートが盗まれた。プレートがないと公道を走れない。 この週末には取材予定がたくさんあるのに、 これでは行けないではないか。頭の中が白くなる(感じね)。 と同時に、変酋長日記のネタになると少しだけ思った。
 与那原署に電話したら、パトカーが来た。 捜査にはプレートの番号が必要なのだが、私はうろ覚えだ。 西原町の部屋にはその書類がある。ということで、 私が原付に乗ってパトカーを先導し、西原町まで走った。
 がっくりきている私におまわりさんは 「バイクごと盗まれることだってあるんだから」と 慰めてくれた。確かに。そう考えることにしたい。
 このあと私は取材先に電話をかけて事情を説明し、 取材の延期をお願いした。犯人への怒りは収まらない。 取材予定が大きく狂ったばかりか、 月曜には新しいプレートをもらうために 与那原署と西原町役場に行かなければならなくなった。 でも、この原付で公道を走るわけにはいかない。 歩いて回るかタクシーに乗るか。 余計な作業で貴重な時間がつぶれるのが悔しい。
 くっそ〜。盗まれた私のナンバープレートは「西原町 う 7011」だ。 この番号を付けて走っている奴は犯人の可能性がきわめて高い。 見つけた方はすぐに110番通報をお願いします。

モホMENに会った(2001年12月10日)
 沖縄国際大の学園祭で喝采を浴びた謎の集団「モホMEN」への インタビューに同行した。スタッフを含む7人が集まってくれた。
 みんなとても気のいい学生たちだ。何と言っても、 人を笑わせるために研究熱心なのがいい。厳しさもある。しかし、 仲間同士が信頼し合っている。 私は「太陽にほえろ!」の七曲署捜査1係を思い出していた。 私が沖国大生なら……と何度思ったことか。羨ましくなった。
 取材中、この学生たちが実によく笑う。私のしょうもないボケや突っ込みに 敏感に反応するのだ(笑い顔を見ていて気持ちよかった)。「笑い」の感性(ツボ) が私と似ているのかもしれない。いや、もっと率直に(ちょっと偉そうに) 硫黄じゃなくて言おう。笑いに対して実にいい感覚を持っている。
 笑うっていいなぁとあらためて思った取材だった。 記事は近々(22日付辺り)掲載する予定だ。お楽しみに。

ジャスコ具志川店(2001年12月9日)
 登川誠仁さんの民謡ショーを見るために原付を走らせた。 この店は地元の芸能人のいろいろなライブや催しを頻繁に開催している。 前川守賢さんのライブを楽しんだこともある。
 登川氏や前川氏のライブなら、私はお金を払ってでも見たいと 思う。そんな価値のある催しを地元客は無料で満喫できるうえ、 出演する地元芸能人には出演料が入る。
 地元に密着するとはこういう姿勢を言う。 ジャスコ具志川店の企業努力を私は高く買う。

ラブレター(2001年12月6日)
 たくさんのラブレターを読んでいる。 沖縄大の「メディア論」という授業で 私が先月1回だけ話をした。その時の課題として 学生たちに書いてもらったのだ。
 恋人や片思いの相手、親、飼い犬、憧れの街など 相手はさまざまだが、熱い思いを率直に綴る文章はどれも胸を打つ。 中でも1歳の甥っ子へのラブレターは私の心を激しく揺さぶった。
 ひとことずつ感想を書きながら、「みんな、なかなか書けるではないか」 と思い、うれしくなった。
   ラブレターや論作文の書き方だけではなく、就職活動で効果を発揮する 秘策も授業で直伝した。沖大生頑張れ。

ウイルス騒動(2001年11月29日)
 メールにくっついてきた「カーネル」ウイルスに 27日夜やられてしまった。遠くは米国アトランタから、 近くは西原町から、問い合わせの電話がかかってきた。 前者はソフトを再インストールしたという。 世界規模の被害に(ちょっと大げさ) コトの重大性が見えてきて慌てる。
 沖縄王の仲間のアドバイスを受けながら、 丸1日かけてようやくウイルスを駆除できた。 ウイルスを甘く見ていた。
 もしかしたら、多くの人にご迷惑を おかけしてしまったのではないか。 私のせいでウイルスに感染した方がいたら、 ごめんなさい。

モホMEN(2001年11月24日)
 沖国大祭で「モホMEN」を見た。学校用海水パンツを履いた男5人が音楽に 合わせて踊ったり組体操をしたりする。
 志村けんがかつてテレビ番組で シンクロナイズドスイミングの格好をして笑わせていたことがある。ちょうど あんな感じである。志村ほどではないにせよ、 「モホMEN」の動きはかなりコミカルで、笑いをけっこう取っていた。 恥ずかしがらずに、余裕を持って演技していたのが見事だった。 私は思わず何度か拍手した。
 沖国大祭に登場するのはこれで5年目だ。同大の学生たちが やっている。モンパチに続く有名人になれるといいね。

しゃかり(2001年11月22日)
 しゃかりのライブを沖縄市民小劇場あしびなーで満喫した。 立ち見が出るほどおおぜいのお客さんだった。
 突き抜けるようなソプラノを真綿で柔らかく包んだような千秋さんの声が 響き渡る。お客さんの心をわしづかみにする声だ。しかも、 歌詞を明瞭に聞き取ることができる歌い方なので、歌詞の世界に 想像の翼を羽ばたかせることができた。
 帰宅後、CD『かふう』をあらためて聴いた。
 ところで、高齢になった民謡系の歌い手を強引に第1世代と位置づけると、 りんけんバンドやディアマンテスが第2世代、そして第2世代を“卒業”した 人たちを中心に構成するしゃかりは第3世代になる。沖縄の音楽は さらに第4、第5の世代に引き継がれ、形を変えながら発展していくのだろう。 楽しみだ。
  

ビンラディンはソマリアにいる?!(2001年11月21日)
 小禄のジャスコにいた私の携帯に在米ジャーナリストの森暢平さんがアトランタから 電話をくれた(すごく便利な時代だ)。「ちばりよー原稿を送ったから」という 連絡だ。ありがたい。さっそく26日付で掲載することにする。
 ところで、森氏によるとビンラディンの居場所は「ソマリア」である。 この持説を『サンデー毎日』に書いたそうだ。本当だったら大スクープ、 ピュリッツァー賞受賞は間違いない(かな)。
 昨日の日記の補記。書店に聞いたところ、週刊誌は3日遅れ、ほかの雑誌や本は5日遅れで 沖縄に届く。せっかちな私にはじれったい数日間だ。
 

読書の秋(2001年11月20日)
 日垣隆さんが1ヵ月に100冊の本を読むと知り、私は時間がある日に限って1冊読み切る 試みを始めた。今日は取材の帰りに立ち寄った具志川ジャスコ内のドトールコーヒーで 牧港篤三さんの『沖縄精神風景』(1965年)を読み切った。
 「祖国復帰」と「平和」という言葉を沖縄の「隠語」だと記した部分に引かれた。 日米の間にあっても沖縄は「引き裂かれない」と胸を張ってみせたのも面白い。
 それにしても、雑誌や本が沖縄に届くまでに時間がかかりすぎる。 日垣氏と野口悠紀雄さんの新刊本を読みたいと思い、本屋に何度も行っているのだが、 沖縄にはまだ上陸していない。この情報時代に紙媒体だけがえらく遅れる システムは何とか改善できないものか。ITの推進よりも先に県が手をつける価値はあると 私は思う。
 

誇り(2001年11月16日)
 今日付の『琉球新報』の「記者席」によると、 那覇空港の観光土産品店の農産物価格が異様に高いそうだ。 ゴーヤー1本600円、シークァーサー10個1200円などとなっていて、 嘉数知賢衆院議員は「背筋が凍る思いがした」と語ったそうだ。 観光客相手にべらぼうな価格で売っている店があるという意味である。
 昨日、国際通りで読売の記者に偶然(奇跡的だ)出会った。私が毎日新聞福島支局にいたころ、 一緒に福島署などを回った仲間である。彼は沖縄での取材を終え、那覇空港に向かう途中だったが、 20分ほどドトールコーヒー松尾店で話し込んだ。
 彼は数日間の沖縄滞在での経験を話してくれた。 「ブセナのリゾートホテルに入ったことがないと タクシーの運転手が言っていた」「首里城までタクシーに乗った。僕が降りる時、 運転手は『帰りのために待っていましょうか』と言わず『2時間くらい 貸切にしておきましょうか』と言うんだ」。
 「東南アジアの観光地と似た状況になっている。要するに、 現地の人間と観光客のダブルスタンダードがあって、 現地の人間は観光客から金を取ることしか考えていない状況が沖縄にもある ということだ」と指摘する。
 悔しいけれど、『新報』の記事は彼の指摘を裏づける。それにしてもゴーヤー1本が 何で600円もするかね。ただでさえ観光業は大変なのに、 自分の利益しか考えないあこぎな商売は沖縄嫌いを増やすだけだ。

西原から名護まで原付で2時間(2001年11月14日)
 きのう今日と取材で名護市を2日続けて往復した。西原町の事務所から 片道2時間かかることが分かった。案外早く着く。
 14年前には200ccのオフロードバイクに乗って県内を走っていた。 遠い場所の往復には、点と点をまっすぐ結ぶ自動車道を走ることができる バイク(200cc以上)の方が便利ではある。
 原付は一般道を走るしかない。でも、取材を終えた帰り道に道草が楽しめる。 国道329号を走りながらふと目に付いたわき道に入って行くと、 子供が狭い海岸で遊んでいたり大人が釣りをしていたりする光景に出会った。
 私には原付のほうが向いているようだ。でも原付より自転車や徒歩のほうが もっといろいろな道草を楽しめると思う。

石川市内のフリマ(2001年11月11日)
 スタッフ・たまちゃんが夫とともに石川石炭火力発電所赤崎グラウンドでのフリマに 出店すると聞き、お邪魔した。ソレイユのシュークリームなどを手に、 スタッフ・清美ちゃんもやって来た。
 売れるはずがないと思っていた視力回復機(9万円で購入)が 1000円ですぐに売れたり、おまけでプレゼントするつもりだった 「体脂肪ダイエット茶」に関心を寄せるお客さんが異様に多かったりと、 売り手の予想を超える動きがあった。
 よく日焼けした40代くらいのおじさんは、たまちゃんから100円で買ったアクセサリーを そのまま自分の店で売っていた。そういうのってアリなのね。勉強になった。

琉大祭(2001年11月10日)
 今日明日の2日間開かれている琉大祭にスタッフの宝島太郎さんと一緒に行ってみた。 学生たちの出店が並び、縁日風の雰囲気だ。しかも値段が安い。本来の目的である「ちゅらさん」と 「ニーニー」の取材そっちのけで、焼きそばを食べ、ジュースを飲み、お餅を買い、 スコーンを頬張り、カレーを平らげた。
 客が来るのを店で待つだけではいけないということか、商品を持って売り歩く 学生の姿がけっこう目立った。その積極性やよし。
 かつては「気楽な稼業」と歌われたサラリーマンが今日では“大変な稼業”に陥っている。 今の日本に残る数少ない「気楽な稼業」の1つが学生時代なんだろうな。 その時期にしっかり遊んでおかないともったいない。

「舌鼓」は打つもの(2001年11月6日)
 パレットくもじの交差点で、飲食店の500円券を2枚もらった。印刷された文章を読むと、 「自慢の創作料理に舌つづみし」とある。舌つづみする? それを言うなら 「舌鼓を打ち」だろう。
 券の1枚に正しい表記を書き加え、券をくれた人にそれを返しながら「これは恥ずかしい 間違いだから、印刷し直したほうがいい。店長さんに言っといて」とアドバイスして おいた。
 おせっかいかもしれないが、放っておくよりはいいだろう。

りんけんバンドの音楽は沖縄のスタンダードナンバーだ(2001年11月4日)
 私はりんけんバンドの音楽が好きである。この夏には子供3人を連れてカラハーイのライブに行き、 最前列中央のテーブルに陣取って楽しんだ“実績”がある。そのりんけんバンドのコンサートが 西原まつりで開かれた(しかも、タダ)。西原町民としてこんなうれしい話はない。
 ステージ周辺に集まったお客さんは、かなり控えめに見ても1000人は超えている。 唐船ドーイが流れると、両手を上げて踊る人が続出した。 「同じ阿呆なら踊らにゃ損々」は何も阿波踊りの専売特許ではないのだ。
 「ありがとう」や「乾杯さびら」「サバニ」などのおなじみの曲を聞きながら、 りんけんバンドの音楽のいくつかは沖縄のスタンダードナンバーの地位を確立しつつあると あらためて思った。
 沖縄の音楽の分野には「古典」と「民謡」がある。しかし、あと何十年か経てば 「りんけんバンドの音楽」という分野が加わることを私は予言しておく。

国仲涼子さんを見た(2001年11月1日)
 テレビを通して見るよりはるかに美しくかわいい。懸命に見続ける。
 世界のウチナーンチュ大会の関連行事を見るために宜野湾の海浜公園多目的広場に スタッフのたまちゃんと来ていた。ステージで「国仲涼子さんです」と言っているのを 聞き、慌てて近づいたのだ。それまで1人もいなかったステージ前にたちまち 人がいっぱい集まった。
 来た甲斐があった。友人知人に自慢しようっと。ふふふ。羨ましいでしょ。
 

沖縄大の学食(2001年10月30日)
 昼と晩の2回、沖大の学食で食べた。学食は大学正門を入ってすぐ左側の建物にある。
 これがなかなかいい。学生数が少ない分、琉大の生協食堂と違って注文を受けてから作る。
 琉大のキンピラぼごうのような小皿はない。しかし、チャンプルー類やとんかつ、 しょうが焼きなどの定食を400円で食べられる。ご飯は自分の好きなだけ大きめのお椀に 詰めることができる。さらにご飯とスープ、かき氷などはお替わりを1回できる。 これはすごいサービスだ。
 昼飯に行って感動したので、那覇市内で用事を終えたあと、晩飯もここで食べた。 また食べに行こう。

イチローTシャツ(2001年10月28日)
 沖縄王の仲間と瀬長島に行き、野球場の近くでパラソルを立て、イチローTシャツを販売してみた。 このTシャツは沖縄王が独自ルートで安く入荷したものだ。
 いい天気である。海からの風が心地よい。那覇空港を離陸した航空機が 轟音をあげながら上昇してゆくのを見上げる。ゆったりした時間の中で、 米国同時テロの話やUFOの話、仕事の話などをする。
 人通りが予想をはるかに下回る少なさで、“お店”は開店休業状態だ。でも、 青空の下で気の置けない仲間との気ままなおしゃべりは楽しい。 病み付きになりそうだ。私は商売に向いていない?

琉大生協食堂(2001年10月24日)
   昼と晩の2回、琉大の生協食堂で食べた。ほうれん草やきんぴらごぼう、レンコンひじき (いずれも58円)といった家庭料理的小皿を安価で食べることができるうえ事務所から近いので、 時々利用する。これに牛丼(298円)を加えて、税込み495円が昼食だった。 琉大周辺で部屋探しをしたのは正解だったとあらためて思う。
 レジでお金を払うとレシートをくれる。自分の選んだ料理をもとに計算された 摂取カロリーや塩分などが記されている。カロリーが気になる年代の私には ありがたい。琉大生や職員以外でも利用できる。

さんまはさんまでも……(2001年10月20日)
   「恋のから騒ぎ」(日本テレビ系列、沖縄ではOTVが放送)が好きで、土曜の午後11時から よく見ている。今日も見ようとテレビをつける。画面にはいつもの明石屋さんまが映っている。 しかし、内容が変だ。新聞のテレビ欄で確認すると、「さんまのまんま」という番組名に 変わっている。「恋から」はどこに行ったのだろう。沖縄での放送は何らかの理由で中止になったのか。
 新聞をよくよく見てみたら、午後2時から放送されていた。この日は1時間のスペシャル番組だったようだ。 なおさら見たかった。1時間番組だから今日だけ放送時間を変更したのか。それとも今日を境に 放送時間を変更したのか。後者であることを祈りたい。

CDの耐久性(2001年10月18日)
   「しゃかり」が所属する「かふうエンタテインメント」(北谷町)社長・加古直秀さんに 取材で会いに行った。そこで、怖い話を聞いた。「CDに記録されたデータは10年くらいで消える」というのだ。 実際に加古さんが10年以上前に買った音楽CDの中にはすでに音が部分的に消えているのがあるそうだ。
 寝耳に水の話である。などと悠長に驚いている場合ではない。私は「太陽にほえろ!」のレコードを全部持っているのに、 その後あらためてCD化されたやつの大半を買った。さっそく調べてみたところもうすぐ10年目に入る。
 幸いなことにデジタルデータはコピーしても劣化しない。自分が生きている間は、10年という節目ごとに新しいCDや その時開発されているであろう新記録媒体にコピーし続けるのが、「太陽にほえろ!」を守る方法のようだ。
 それにしても、CDの耐久性に限界があることを今日の今日まで知らなかったのは私だけか?

安く買う方法(2001年10月14日)
   同じ商品に同じ電器屋であっても、支店が違うと価格が違うことがある。例えば、 今日のTDKのCDRW(GCD888UJ)の価格をベスト電器で見てみよう。沖縄店(国際通りにある)では16800円、 コザ店(コリンザ内にある)なら13800円と、3000円もの差がある。 こうした支店間の価格差は珍しい話ではない。昨年末に首都圏のヨドバシカメラでデジカメを買った際にも私は経験した。
 結局、情報は足で稼ぐしかないということか。でも消費者の立場からすれば、同じ電器屋での同一商品は、支店が違っても 統一価格にしてくれたほうがありがたい。

比嘉バイロンさん(2001年10月12日)
   模合に初めて参加した。会場になった宜野湾市のアルテ長田店では、模合に合わせて比嘉バイロンさん(32)の三線ライブを開催した。 バイロンさんは沖縄生まれの沖縄育ちだ。うちなーぐちを滑らかに喋る。
 バイロンさんはアイデンティティーを求めて米国に留学したことがある。 そこで白人至上主義を目の当たりにして衝撃を受け、沖縄に戻る。心が宙ぶらりんになっていた時、 偶然聴いた三線の音色が心をとらえた。自分は沖縄の人間なのだ。こうして、生まれ育った沖縄の文化を 大切にしようと思うようになる。休憩時間にそんな話を聞き、私は共感した。
 さて、三線ライブの最後はカチャーシーである。 私の古里・徳島の阿波踊りには「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」という歌詞がある。 古里の文化を大切にする私としては踊らざるを得ない(実は踊りたい)。というわけで 踊ったのだが、どうにもこうにも阿波踊りになってしまう。いやしかし文化とはそういうものなのかも しれない(カチャーシーが下手なのをごまかしているわけではない、つもり)。

観光客が沖縄に来ない原因(2001年10月10日)
   今日付の『琉球新報』によると、テロと空爆の影響で観光客約8万人が沖縄旅行をキャンセルしたという。 沖縄はそんなに危険なのか?! でもね、約8万人が敬遠したここに沖縄県民は(私も)住んでいるんだぞ。そのことを 本土の人間はどう思っているのだろう。
 各大臣に沖縄に来てもらい安全だということを見てほしいと稲嶺知事は語っている。「安全」だったら何で本土から機動隊が 400人以上も沖縄に来ているのか。しかもビンラディンのテロ組織アルカイダは「飛行機テロをやめない」と言っている。 私はまだ死にたくないから、正直な話、飛行機に乗る機会は減らしたいと思う。 だから沖縄旅行をキャンセルする本土の人の気持ちは分からないではない。
 観光客激減の原因は米軍基地にある。観光立県と米軍基地の両立はもともと無理があるのだ。

「お疲れさま」と「ご苦労さま」(2001年10月6日)
   瀬長亀次郎氏の訃報に対する県出身国会議員のコメントが出ている『琉球新報』を読み、「あれれ」とあきれてしまった。 下地幹郎衆院議員(自民)と西銘順士郎参院議員(自民)の2人が「ご苦労さまでした」と述べていたからだ。「ご苦労さま」は目上から目下に使う。 時代劇で殿様が家来に「ご苦労であった。褒美をとらせるぞ」と使うのがいい例だ。目下が目上に使うのは「お疲れさま」である。こんなことは社会人1年生程度の 常識なのだが。国会議員は「社会人」ではない?

好印象?(2001年9月18日)
   浦添市の丸勝中央クリニックでの話だ。待合室のソファに座っていると、 おじいさんが寄って来て、こう言う。「(あなたは)いい感じがする」。戸惑いながら 「ありがとうございます」とお礼の言葉を返すと、 おじいさんは「いい感じがするということは、あなたの人生がずっと『いい感じ』を 持っているということだから、素晴らしいことなんだよ」という趣旨の説明をする。 そういえば大学時代にドイツ語の男性講師からよく似たことを言われたことがある。 それが本当ならありがたいと思う。胸を張って歩きたくなった。

鍾乳洞で見たもの(2001年8月28日)
   金武町の金武酒造・観音茶屋を訪ねた。名泡盛と言われる「龍」を鍾乳洞で5年間預かってもらうことにして、 私にとっては大金の1万円を支払う。瓶に付けるラベルを渡されたので、「(有)沖縄王 西野浩史」と書いた。 5年後に、古酒になった泡盛を仲間と飲めればいいなぁと願いながら。
 鍾乳洞に入ってみた。たくさんの瓶が保管されている。私の目に偶然とまったのは「筑紫哲也」のサインだ。1995年6月23日の日付が添えられている。 もう1つ「稲嶺恵一知事」の文字がいくつか飛び込んできた。こんな場所に「知事」の肩書きを持ってくる無粋さに呆れる。恐らく部下が書いたのだろう。
 稲嶺さんはこんなことを望んでいないと私は思う。

やられた(2001年8月20日)
   那覇市のパレットくもじ横(久茂地川の側)に置いておいた原付がない。 私の周囲のバイクのほとんどがなくなっている。まさかと思って、近くにいる警官(ヤクルトの 古田捕手に似ていた)に聞いたら、「ここは歩道なのでレッカーで持って行った」。 歩いて那覇署に行き手続きをして、今度は波之上駐車場まで歩いて行き引き取った。 罰金9000円、レッカー移動と駐車場代で3100円。

義父の8・15(2001年8月15日)
   敗戦後沖縄に帰る交通手段がなかった義父(海軍の軍属だった)は機関士として掃海艇に乗り、 瀬戸内海に設置した機雷を除去して回っていた。その掃海艇で機関長だった松山在住の人と 半世紀ぶりに再会した。元機関長の名前を義父から聞いた私は、数ヶ月前に探し当てておいたのだ。
 松山空港で会った元機関長は80歳、義父78歳、その人の奥さん76歳。
 涙ぐむ奥さん。固く握手する元機関長と義父。「あなたが機関長だったから当時のみんなが まとまった」と義父は振り返る。奥さんは「沖縄出身の方々はみなさん男らしかった」と思い出す。
 那覇に向かう飛行機の中で、義父は満足そうだった。
 

“終了”した結婚式(2001年8月10日)
   那覇市にあるロワジールホテルを訪ねたら、ロビーで結婚式をしている。外人の司会者が 「(式を)終了します」と言うのを聞き、私は驚いた。「終わる」や「別れる」という単語を 使うのは禁忌だと思っていたからだ。私が古いのかな。
 

愛されるジェフ(2001年8月3日)
   夕方、Y編集部員とジェフ某店の駐車場で待ち合わせた。私は原付バイク、Y部員は車でやってきた。 「少し打ち合わせますか」とY部員。「そうしましょうか」と応じながら、てっきり店内に入るものだと 思っていたら、「車の中で」と言われた。「えっ、店を利用しなくてもいいの?」「いいですよ、 だってみんなのジェフだのに」
 

横断中(2001年8月1日)
   西原町の坂田交差点から鳥堀交差点に向かってバイクで走っていた午後7時半ごろのことだ。 オキコの工場の手前で、ペッタンペッタンという感じで道路を横切る小さな影が前方に見える。 ん? と思い、ブレーキをかけながら近づく。バイクが迫っているのに相変わらず ペッタンペッタン横断しているのは……アヒルだ。びっくりした。どこに向かっていたのか 少し気になる。
   

助け合い(2001年7月19日)
   西原町幸地を走る沖縄自動車道の下で雨宿りをしていたら、若い男性から 声をかけられた。行ってみると、乗用車の左前輪が溝に落ちている。 一緒に車を上げようとしたが動かない。さてどうしよう。 そんなところを通りかかった車やバイクから続々と助っ人が やってきて、小雨が降る中、計6人の男手で一気に引き上げた。みんな何ごとも なかったかのように去って行った。若い人もいたし初老の人もいた。 みんなカッコよかった。助けられた側ではないにもかかわらず、私はうれしかった。
 

「ちゅらさん」への言いがかり (2001年7月12日)
 NHKの朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」に”市民団体”などが言いがかりをつけた。 今日付の『毎日新聞』によると、ヒロインの結婚を巡って、反対する父親と婚約者が 泡盛を飲み比べする場面に対して、一気飲みの危険性への配慮が足りない という趣旨の批判や抗議の電話が十数件NHKに寄せられたそうだ。
   泡盛の飲み比べの場面といっても、父親がわざと負けてやるところがポイントだ。 ストーリー展開を明確に読めない人が大騒ぎしていいのだろうか。こういう人たちが 宮古のオトーリを見たら卒倒するかもしれない。
   


©2001, 有限会社沖縄王